【私の人工中絶体験経験記】
この世に生まれてくる命がある。
あの世へと帰っていく命がある。
自らの手で断たれる命がある。
生きたくても生きられない命がある。
この世の命の不思議・・・
27歳の時妊娠。3ヶ月生理が来なくて、ドラッグストアで妊娠検査薬を買い調べた。陽性だった。
望む妊娠ではなかったので誰にも相談できなかった。
御相手の男性にも当時「本当に俺の子なのか」と問われた。当時私は、25歳の頃から風俗店で働いてたし、出会い系サイトで知り合った男性との裸の付き合いが多かった。だから相手の男性も疑ったのだろう。事実私も子供は望んでいなかった。
だけど女性はみんな思う気持ちであろう。お腹が動く度に気持ちは変わって、産みたいと思うようになった。
しかし誰も喜んではくれなかった。私は生まれつき足が悪い。「その体では育てられないだろう」と決めつけられ、誰も妊娠したことに喜んでくれなかった。だから中絶するしか無かった。
これもみんな言うことかな?男性は特に「俺の方が先に死ぬんだから、負担はかけられない。子供がいなければまた出会いもある」と。
産婦人科に行った。「中絶を希望する」と告げた。
産婦人科に入院し中絶処置が始まった。入院した夜は「ごめんね」と心から泣いた。
中絶処置は、注射して、おしりに座薬を入れて、赤ちゃんが小さくなるのもを待って、分娩みたいに中絶する方法だった。おしりの方まで来るのに数日かかると説明され、入院生活が始まった。同じ病室の人は皆出産を希望する人で、私が入院した日も時間遅くまで出産手術をした人が、ベット元に戻ってきたのを覚えている。
入院した日は病院の食事は食べられたが、次の日は全く喉を通らなかった。お腹の真ん中にいた赤ちゃんがだんだんお腹の下への下がり、徐々にお腹が痛くなってきたからだ。出産で言うつわりや破水だ。
便秘がきて、お腹が痛くなり、トイレをしたくなる感覚にもなる。そしてトイレへ行って、ボトンとおしりに入れた座薬が便器に落ちた。それと共にへその緒がついて、小さくなった赤ちゃんがぶら下がっていた。
分娩処置をして中絶は終わった。次の日に退院し3泊4日の入院生活だった。
赤ちゃんは病院で埋葬してもらうようにお願いした。誰にも言わずに中絶し、SNSで知り合ったご住職さんに祈祷をお願いした。少しだけ心が休まったような気がした。
私は去年乳がんになり、今考えたら中絶しておいて良かったのかなと思う。もし生まれていたら、心身ともに健康な人には育ててあげられなかったと思う。それに私もいつかその子より先に死んでいく。そんな寂しい思いはさせられない。
今は結婚も妊娠も妊活も性生活もしたいとは思わない。望んだ妊娠でも生まれて来れなかった子もいる。奇形児で生まれた子もいれば流産、中絶。様々な事情がある。それは仕方ない事だし、1人で悩む必要は無い。それに恥ずかしいことじゃない。みんな違っていい。それが当たり前だもの。
でももしこの世に産まれてくることが出来たら、どんな子であれその子を精一杯幸せにしてあげて欲しい。
【当時の年齢27歳 妊娠34週目】
『恥ずかしいことじゃない。みんな違っていい。それが当たり前だもの。』
実に自己中心的で身勝手で言い分だと感じる部分も多々ある。
だが、自身も障害を抱え、虚無的、悲観的、厭世的にならざるを得なかった自身の生き方が悲しく映る。
【生きることは苦しみ】
釈迦の言葉が脳裏をよぎる。。。
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