【私の流産/死産体験経験記】
この世に生まれてくる命がある。
あの世へと帰っていく命がある。
自らの手で断たれる命がある。
生きたくても生きられない命がある。
この世の命の不思議・・・
27歳、結婚して半年足らずで待望の妊娠をしました。
両家にとっては初めての孫となることもあり、周囲のみんなから祝福されて幸せな妊娠生活が始まったのです。
妊娠中も検診では特に指摘されることもなく順調に妊娠後期まで進んでいきました。
ある日、風邪を引いたわけでもないのに体全体がだるくて熱も37.5度の微熱がありました。
寒い日が続いていたので「体調が崩れたのかな」と思い、一日寝て過ごしていたのですが…よく考えてみると、あれだけ昨日までお腹を蹴ったりして動き回っていた赤ちゃんの胎動がありません。
しばらく様子をみていたものの、一向に胎動を感じることができなかったのですが、出産経験のある友人に電話すると「臨月が近づいてくるとそんなもんじゃない?」と言われて納得し、三日後に予定されていた検診日まで待つことにしたのです。
その日は、いつも通りに病院を訪れて「もしかしたら、増えすぎた体重を指摘されるかもしれない」などとのんきなことを考えながら待合室で待っていました。
30分ほどして呼ばれて、医師の診察を受けたところ医師が「あれ?どうしてだろう。いつから胎動を感じなかった?」と聞かれました。
私は事の重大さもわからずに、「数日前から動いてないと思います」と話したところ、「心臓が止まってるね、お腹の中で赤ちゃんが亡くなっている」と言われました。
その言葉の意味がしばらくの間、ショックで理解できませんでしたが、看護師さんに「ちょっと別室に来てもらえるかな?」と声をかけられて我に返りました。
それからは、怒涛のごとく時間が過ぎていったことだけを覚えています。
夫にすぐに電話したのですが、夫も気が動転していたのでしょう。どうしたらよいのかがわからないようでした。
翌朝、お腹の中の子を出すために、陣痛を促す点滴をして7時間かけて泣くことのない赤ちゃんを外の世界へ出しました。
この後、私は二人の子供を出産することとなるのですが、死産した時は人工的に陣痛を付けたこともあり、どの出産よりも痛みを感じたのを覚えています。
今後のことを考えて、私は赤ちゃんとは対面しませんでした。今思えば、会っておけばよかったのでしょうが、あの時に私にはあまりに辛くてそれができなかったのです。
あんなに幸せに満ちた妊娠生活を送っていたのに、今のこの状態にどうしても理解することができませんでした。
夫と私の両親、義理の母の4人に囲まれてあの子はこの世を旅立ちました。
その後、悲しみが日に日に押し寄せてきて、笑うことも、食べることもできなくなった私は死産をきっかけにうつ病になりました。
心療内科に通う日々の中で、「人生でこんなに辛いことはない。自分はもう二度と立ち直ることができないかもしれない。妊娠が怖くて一生子供を授かることもできないのならば、せめて夫には子供のいる人生を歩んでほしい」という思いから離婚届に判を押しました。
自分と一緒にいると夫はずっと幸せになれないと思ったからです。
しかし、夫はその離婚届を破り、「この先、一生子供がいなくても○○と一緒にいたいし、幸せな人生を送れると思うから頑張ろう」と言ってくれました。
その言葉が死産という人生のドン底にいた私を救ってくれて、「この人のためにもう一度、元気になろう」と思うことができました。
その後、妊活を始めて半年で長男を授かることができました。
長男の時も、長女の時も切迫早産となり、長期の寝たきり入院をしましたが、無事に健康に生まれてきてくれたことに感謝しています。
今はその時の二人の子供も思春期となり、生意気な事ばかり言いますが、家族4人幸せに暮らしています。
【妊娠34週週目】
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