葬儀/葬式川柳
葬儀の身内の手伝いをすることになり、記帳のリストを記入する役回りとなったが、与えられたパソコンが、このご時世にまさかのWindowsXPだった。
仕事の関係先の葬儀では、直接知らない場合がけっこうあります。
(はじめめまして。○○と申します)と、心の中で自己紹介をしてから焼香する様子を詠いました。
祖父が101歳で亡くなりました。
大正生まれで、令和まで生き、自営業だった我が家に婿にきて、必死に働いてくれました。
安倍首相から頂いた賞状は、大切に保管してあります。
百年生き抜いた祖父へのねぎらいの意味を込めました。
ずっと独り身だった叔父。独り寂しく生きていたのではと思っていた彼を、沢山の人が見送ってくれて嬉しかったことを詠みました。
葬儀の前夜、棺の祖父の顔を見ながら家族でお経を唱えていると、紫がかっていた顔がその時だけやや血色が良くなり、肌艶が変化したように感じました。
父が亡くなる時、だんだん、息をしなくなり、ゆっくり、最後、息をひきとりました。
生きるということは、息をしているということなんだと、当たり前のことを改めて強く実感し、私は生きているから頑張ろうと思いました。
五歳の息子に聞いたら、「じいちゃんにあげたの」と、返事がありました。
ちょうどじいちゃんの口のところに置いていて、笑ってしまいました。
葬儀等の式を終え悲しい気持ちや泣きたい気持ちがあるはずなのに…
何も考えることができず、ぼーっとしていました。
現実を受け入れられない自分と、受け入れないといけないという現実の狭間を彷徨っているような気持ちになりました。
子供の頃、お焼香のマナーがわからず、横にいた人のやり方を必死にマネして乗り切った覚えがあります…
ポイントは冒頭の「枯木」としています。寿命を終えた木を指しており、寿命を終えて亡くなった人に例えて記載しました。
青空は気持ちがよいといつも話していた父でしたから、青空の広がる日は、父を感じながら過ごしています。
お祭りでよく綿菓子を買ってくれた、優しい祖母の姿が思い起こされます。綿菓子甘さと祖母の優しさがリンクします。
友人の葬式で久しぶりに懐かしい顔ぶれに出会いました。その後、故人の思い出を肴に飲んだ思い出があります。
叔母の葬儀へ、生後半年の子を連れて参加しました。その際抱っこ紐を紛失してしまいました。
叔母は独身で子がおらず、歳の離れた父を子どものように可愛がっていたそうです。
遠方なので生きているうちにこどもに会わせることはできませんでしたが、我が子のように可愛がっていた父の初孫に喜び、記念に抱っこ紐を持っていったのかな?と皆で話しています。
亡くなった祖父は、しきたりや習わしに厳しいとても怖いおじいちゃんでした。
私が幼い頃に亡くなったこともあって、家紋や戒名などはよくわかっていなかったのですが、お墓参りに行くと必ず目に入るのが花の家紋でした。
父曰く祖父がどうしてもと墓に記したそうです。
怖い祖父でしたが、一家の大黒柱のような存在で、家紋を見ると祖父のシワだらけの手と威厳に満ちた顔を思い出します。
「私の死を暗示している、もしくはそれを願っている」と考えられる、失礼に値するチラシがよく送られてくるという笑い話です。
息子が三才の時でした。亡くなったおじいちゃんに、一生懸命声をかけていました。
今まで当たり前のように隣にいた父。家族の為に色々な事に頑張ってきてくれた父の姿はもうどこにもない。
良き父だから天国へと行く事が出来ただろうなと言う思いを込めて読みました。
この世のわずらわしさから解放され、故人の御霊とこしえに安らかに…
長年の将棋仲間の葬儀で、(またあちらの世界で一局打ちましょう)という思いを込めて、故人の大好きだった将棋の駒(飛車)を棺に入れさせていただきました。