葬儀/葬式川柳
故人を偲ぶ気持ちに偽りはありませんでした。
しかしながら、人間とは不思議なもので同時に、これから取得するであろう相続財産のことを考えて、心は弾んでしまった経験があります。
コロナ禍の葬儀では、マスクが必須でした。只でさえ久しぶりの人が多いのに、マスクをしていると余計誰が誰だかわからなくて混乱しますよね。
人には与えられた寿命があるのだとよく話していた祖父。本当に突然の別れとなり、未だに悔やんでいます。
「ありがとう!」と会って伝えたいと思った、あの日を思い出し詠んでみました。
祖父の葬儀に何年も音信不通だった叔母(故人の娘)が来て、今までのことを詫びながら、「ありがとう」と故人に伝えて涙を流していました。
買い物が好きで、インテリアや服、趣味の物など色々と集め、部屋に物が溢れていました。
断捨離やシンプルライフを意識するようになり、結局死ぬ時にあの世に持っていけるのは、自分の心(魂)だけだと思うようになりました。
それ以来、物ではなく経験や知識に重きを置いて生活するように心がけています。
最後のお蓋閉めの時、哀しみにふけていると急に「ちゃちゃちゃっ、マツケンサンバ〜」と着メロが…。笑いを堪えるのが大変でした。
祖母の火葬の時、「骨になった母ちゃんを見たくない」と頑なに拒んでいた叔母。その叔母と一緒に骨上げ箸を使い、お骨を拾った時のことを川柳にしました。
父方の祖母が亡くなった時、喪主となった父が、最後に故人のエピソードを交えながら感動の挨拶をしました。満足そうな父でしたが・・・
リクエストなど聞きながら、実際に文章に起こしたのは私です…
お葬式のお経が長く、単調なリズムに誘われて、舟をこいでいる親戚。住職のお経に、いびきで合いの手をいれているように見えたので詠みました。
祖父は大正生まれで101歳であちらの世界に帰っていきました。戦地にも赴き、最後は寝たきりだったけど。
よく頑張ったねという意味を込めました。
小学生の同級生の葬儀の時のこと。ずっと入院していたその子は、苦しんでいたはずなのに、葬儀の遺影の写っていたのは、あの時一緒に遊んでいたその子の笑顔でした。
元気だった頃のその子にまた会うことができて、悲しい葬儀のはずなのに嬉しい気持ちになりました。
父方、母方両方の祖母が亡くなった時、それぞれ、挽歌として自分で作った短歌を書きつけた短冊(折り紙を長方形に切って作ったもの)を棺に入れたことを詠みました。
※挽歌(ばんか)悲しみを歌った詩や歌のこと。
大往生!とにかく笑って見送ろう
亡くなった父はワガママで自己中で、子どもの頃は反発していましたが、亡くなった後では彼には彼なりの苦悩があったのかなと、すべて懐かしい遠い記憶に感じます。
いつもきちんと化粧をしていた祖母のことを思い出しながら、孫全員で愛用の口紅を塗りました。
祖母はまるで棺の中で微笑んでいる様でした。
葬儀の際に父が好きだったコーヒーを祭壇に供えました。父との朝食を思い出し涙が出ました。その時のことを詠みました。
祖母は、亡くなる前日まで元気でしたが、急死しました。
それからというもの、祖父はとても寂しそうで、早くお迎えがこないかなぁ..なんて呟いてました。
そんな祖父が亡くなりましたが、天国で祖母と会えてたらいいな..と思ったからです。
学生時代の同級生が亡くなったということで、取り敢えず告別式に行きましたが、ほとんど喋ったこともなく、思い出も無いことに気付き、何とも言えない気持ちになりました。
私の田舎では、葬儀で一番崇められるのは地元のお寺のお坊さんです。「坊主丸儲け」とはよく言ったもので、お布施だけで100万近くなるそうですよ。
言われた言葉や教えは、案外亡くなった後の方が、思い出されたり素直に受け入れられたりできるものです。
大切なあの人への想いを、十七文字の言葉に乗せて・・・是非貴方の心の声を詩に乗せて、お聞かせください。入力項目は下記を参照ください。※【お名前】ニックネーム※【タイトル】葬儀川柳※【お問い合わせ】心情・補足[…]
あわせて読みたい‼
葬儀/葬式川柳大切なあの人へのこの想い、、、十七文字の歌に乗せて・・・自動ドア 無人で開き 祖母想う☆解説夫の祖母の葬儀が終わり、火葬場で待機していた時の話です。自動ドアが突然勝手に開き、親族一同どよめ[…]
【色すなわちこれ空なり】