【自死(自殺)遺族からの手紙】自らの手で死を選んだ母は成仏できたのだろうか…

自死遺族からのメッセージ

自死(自殺)は自殺者数の何倍もの自死遺族を生む。

自分自身は死んでしまえばそれで終わりかも知れないが、残された自死遺族の苦しみは、時間が解決してくれることはない。

死ぬまで続くことになるのだ。

地方に住む母親は優しくて、私たち子供をとても愛してくれていました。彼女が縊死(首つり自殺)で亡くなったことは、いまだに慚愧(心から恥ずかしい)の念にたえません。

最近は、人間一人ひとりの生き方は全て自分でシナリオを決めて生きるということを知り、私の母もきっと自分でそこで死ぬことを決めてきて、亡くなったのだということが、やっと腑に落ちた気がします。

それは家族の生き方への警鐘だったことと、人生を大切に生きることを教えてくれたのだと、今は感謝しています。

ことの発端は、家族間の争いです。私の兄夫婦と親父との間に埋めようもない距離ができて、一緒に住んでいた孫共々、家を出ていきました。母にとってはものすごいショックだったと思います。

母親はしばらくして、重いうつ病にかかりました。毎日大量の薬を飲むようになり、言動もおかしくなりました。

私は遠隔地に住んでいて、その状況を知り、何度か母親の元に帰郷し、話を聞いて励ましました。いや励ましたというより、ただその感情的に喋る彼女の話を、じっと聞くだけしかなかったのです。そして、趣味に没頭して気分を紛らわしたら、良くなるのではないかと、色々な提案をしました。私が帰っている間は、気分も落ち着いていて、よく笑ってくれたので、大丈夫だなと思い帰宅したものです。

帰宅してからは、家族全員に手紙をせっせと書きました。出ていった兄にも書きました。母親に対しては、ほぼ三日に一回は手紙を書きました。そして電話もよくかけました。電話すると、最初はおかしなことを言いますが、しばらくすると落ち着いて話を聞いてくれ、以前の明るい母親に戻ります。

そんなことを続けていて、なんとかうつ病が治るのではないかと、希望を持って毎日頑張っていました。

しかし、ある日彼女の心の弦が切れたのでしょうか。

ある日の朝、突然電話連絡があり、母の危篤を聞きました。慌てて取るものもとりあえず帰郷しました。帰郷する途中で、大丈夫かと父に電話しましたが、電話の向こうでこう言うのです。

「実は縊死で助からなかった」

その時は目の前が真っ暗になって駅のベンチに座り込んでしまいました。彼女の人生のシナリオはそこで終わってしまったのです。あまりにも酷い死に方に、しばらくの間、私は立ち上がることもできませんでした。

帰郷して母の遺体を見た時、涙が滝のように流れてきました。愛する母親は、わたしたちを残して逝ってしまった。その別れの寂しさに泣くしかなかったのです。

それでも月日は、その傷を癒やし、残った人たちはまた歩き出しています。なんと人生はいろんな驚きに満ちているのでしょうか。そして、ただ淡々と生きることが、いかに素晴らしいのかということを学んだ母親の死でした。

今はただ母の成仏を祈る毎日です。

【故人の当時の年齢 58歳】

遺された自死遺族の慟哭

自分の命をどうしようが自由。

そんなことを言う人達がいる。

しかし、後には遺される人がいる。

あなたは死んで、逃げてしまえば一番楽かも知れない。

でも、その死を背負って死よりも苦しい地獄を、何十年も生きていかなければならない人がいるかも知れない。

その事実は絶対に無視してはいけない!

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