自死関係者からのメッセージ
自死(自殺)は自殺者数の何倍もの自死遺族を生む。
自分自身は死んでしまえばそれで終わりかも知れないが、残された自死遺族の苦しみは、時間が解決してくれることはない。
死ぬまで続くことになるのだ。
彼との出会いは大学でした。
全然違うところで生まれ育って、年齢も性格も趣味も何もかも違うのに、出会った瞬間、ずっと前から知っているような、生き別れの兄弟にやっと会えたような、そんな温かくて嬉しい気持ちになりました。
大学ではよく一緒に授業を受け、大学以外でもドライブをしたり、映画を見たり、買い物をしたり。
誰にも言ったことはなかったのですが、私は彼が好きでした。大好きでした。人として、男として、本当に心から惹かれていました。
彼は運動部のエースで、明るくて優しくて皆の人気者。だから当然、たくさんの人に好かれていました。
カッコイイ彼と冴えない私。
だからよく、彼は「なんであんなダサイ女と一緒にいるの?」「釣り合ってないよ」と言われていたようです。
私だってそう思います。
でも彼はそうやって言ってくる人に「カナ(私のことです)は最高に良い奴だよ!一緒にいると本当に楽しいんだ」と
笑顔で言ってくれていたと、あとで知りました。
私が困っていたり、落ち込んでいる時はいつも側にいてくれて、優しく励ましてくれた彼。好きで好きで、何度も告白したいと思いました。でも、どうしても勇気が出なくてできませんでした。
大学4年生の夏のある日、なんと彼に「好きだ」と言われ、抱きしめられました。
この時の彼の優しい目、力強い腕、広い背中、激しく動く心臓の音、すべてをハッキリと覚えています。
嬉しかったです、本当に。私も大好きだったから。
でも、だからこそ勇気がありませんでした。
こんな素敵な人の彼女に私なんかがなるなんてありえない、許されないと勝手に思ってしまって、自分でも本当にバカだと思うのですが、「ごめんなさい」と彼を突き放しました。
それから気まずくなってしまい、話をしないまま大学を卒業。
お互い就職して働きだしたのですが、たまたま家が近かったこと、また彼が働いている会社も知っていたので会おうと思えば、本当はいつでも会えました。
でも、勇気がなかったし、今更会いに行っても迷惑だろうと思い、私は彼を避け続けました。
あとで聞いたのですが、彼は何度も私の家の近くまできて、私がいないかと探していたそうです。
でも、私は就職して数ヶ月で会社の近くに引っ越し、もう実家にはいなかったので、彼と会うことはありませんでした。
大学を卒業して2年ほど経った頃、彼から「会いたい」とのメールが届きました。
その文字を見た瞬間、涙が溢れ、私も今すぐ会いたいと心から思いました。
でも、せっかく告白してくれた彼から逃げた自分をまだ許せていなかったし、とにかく自分に自信のない私は、素敵な彼の隣にいる勇気が出なかったのです。
だから、世界で1番大好きだからこそ、諦めたかった。彼のことなんて忘れたかったのです。一度会ってしまえば、またこの想いに苦しむことになるでしょう。だから、私はそのメールを無視することにしました。
彼からもそれからは一切メールも電話もありませんでした。情けないのですが、自分の意思で無視をしたくせに、彼からのメールを何度も何度も見返しては涙を流す毎日でした。
彼に会いたいけど、そんな勇気はない。
そうやって同じことをグルグルと考えていたある日、彼の親友から電話がきました。
彼が死んだ、と。
何を言っているのかわからず、でもガタガタと震えだす私の体。
なんと、数ヶ月前に彼のご両親が事故で亡くなり、その現実を受け入れられなかった彼も後を追ってしまった、とのこと。彼のご両親が亡くなった後、彼はご飯が食べられなくなって、眠れなくなって、そんな中で私にメールを送ったそうです。
あの『会いたい』とのメールは彼からのSOSでした。
それなのに私は自分が逃げることしか考えておらず、無視をしてしまいました。あの時彼に会っていたら、きっと、いや絶対に彼は死ぬことはなかったでしょう。だから、彼を殺してしまったのは私なのかもしれません。
大好きでした。今でも大好きです。
大好きな人を助けることができなかった。私はあれだけ彼に助けてもらったのに。
彼が亡くなってから約10年ほど経ちますが、私はまだ彼(お墓)に会いに行くことができていません。どうしても現実を受け入れられないのです。
今でも彼からメールが届くのではないか、電話がかかってくるのではないかなんて、訳のわからないことを思ってしまう自分がいます。
本当は彼に会いに行って、メールを無視してしまったこと、そして私も大好きだったんだよと正直に気持ちを伝えなければいけないのに。
ごめんなさい、文章がぐちゃぐちゃで読みにくいですよね。
でも、彼の死を受け入れられなくて誰にもちゃんと話したことがなかったので、文字にして、少しだけ頭を整理することができて、本当に良かったと思います。
ありがとうございました。
【当時の故人の年齢 23歳】
遺された自死関係者の慟哭
自分の命をどうしようが自由。
そんなことを言う人達がいる。
しかし、後には遺される人がいる。
あなたは死んで、逃げてしまえば一番楽かも知れない。
でも、その死を背負って死よりも苦しい地獄を、何十年も生きていかなければならない人がいるかも知れない。
その事実は絶対に無視してはいけない!
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