人間と昆虫の奇妙な関係
子供の頃はあんなに大好きだったのに、今となっては大の虫嫌い。
【クワガタ】と【ゴキブリ】の違いがわからない!という、昆虫界の禁句まで飛び出す始末。
私の友人の話だが、かくいう私も同じようなものだ。
カブトムシにクワガタ、トンボにカマキリ、セミ、バッタ、イナゴ、カナブン、アゲハ蝶、コオロギ、カミキリムシ、テントウムシ・・・夏休みには母親の実家に帰って、虫を捕まえるのが大の楽しみだった。
ゴキブリホイホイにかかった昆虫界のサタン、ゴキブリでさえ、遊び道具にしていた記憶がある。
それが今となっては、当時の面影はゼロ。日々虫の襲来に怯える今日この頃である。
ゴキブリならまだしも子供の英雄、カブトムシやクワガタさえも、好んで触りたいとは思えなくなった。
昔はあんなに必死に追いかけていたのにと思うと、寂しくさえある。
では何故人は大人になるにつれて虫が嫌いになるのか?
こう言ってしまえば身も蓋もないが、一言で言ってしまえば『気持ち悪い』からに他ならない。
人間も動物だ。自分の仲間とそれ以外を判断するために、自分により近いものには親近感を覚え、自分とは異型であればある程、嫌悪感を覚えるように本能が備わっている。
つまり人間とは全く似ても似つかない形状を持つ昆虫は、本来人間にとって嫌悪感の塊だ。
子供が昆虫を怖がらない理由
ところが子供にはその本能をも凌駕する程の『知的好奇心』がある。故に子供は虫に対して、抵抗が無い。
むしろ自分とは全く違ったその容姿や行動・習性・生態に大変な興味を覚える。
小柄で小さい子供にとっても扱いやすい。
かくして昆虫は、子供の格好の遊び道具となる。
私自身昆虫とは本当によく触れ合い、青天井の好奇心を満たす為に、随分残虐なこともしたものだ。
- カマキリとトンボやバッタを同じ虫かごに入れて、食べられていくのを観察。
- 巣から出入りする蟻を永遠と踏み続ける。
- トンボやバッタの羽や脚を全て引っこ抜く。
- ムカデを真っ二つに引きちぎる。
- 弱らせた蜂の針を引っこ抜く。
- ダンゴムシを丸まらせては、片っ端から踏み潰す。
- 蝶の羽をクリップやホチキス留めして放置。
- カナブンを線香花火で焼き殺す。
- トンボの尾っぽを引きちぎって、代わりに藁〔わら〕を差し込んで飛ばす。
- 蛙の肛門にストローを差込み、破裂するまで膨らませ続ける。
考えられる限り、残虐の限りを尽くしたものだ。先述の通りゴキブリほいほいにかかったゴキブリさえも、なぶり殺しにして、楽しんでいた記憶がある。
みな同じようなことを経験してきたことだろうが、これが人間の世界なら、一昔前までの子供はみな、歴史に名を残す悪帝ということになる。
大人が昆虫を嫌いな理由
ところが大人になり、この青天井だった好奇心が満たされ、陰りが出てくる。途端に本来の異型のもモノに対する嫌悪感が頭をもたげる。
その結果気持ち悪いから嫌い!となる訳だ。
見た目のグロテスクさに加え、噛み付き、針、毒、臭いといった、昆虫の自己防衛機能の餌食となり、或いは他から知り、益々嫌いになってゆく・・・
一昔前は貴重なたんぱく源としてよく食されていた昆虫が、都市部を中心にほぼ食卓に上がらなくなったことも理由のひとつだろう。
子供の頃は大好きだが、大人になったら大嫌いになる。これはある意味極自然なことだという訳だ。
分かってしまえば何てことは無いが、この先普通に生活していれば、虫が好きになる日は来ないんだろうなと思うと、なんだかちょっと悲しい気もする。
昆虫が嫌いな子供が急増
ところで気になるデータ結果がある。
自然と触れ合うことの少なくなった現在では、子供でも虫に触れられない子供が急増中なんだとか。
大阪府高等学校生物教育研究会が発表した調査によると、25年前に比べ、虫嫌いは倍増しているという。
都市化が進み、自然と触れ合う機会も場所もなくなったことが大きな原因だ。
また少子化で親が過保護になり過ぎて、自然の中で遊ばせなくなったり、そもそも親自身が虫に触れられなかったりすることも、関係しているらしい。
未知のモノに興味を持つというのは、非常に大切なことだ。好奇心からくる情熱、そして経験は、後々様々なモノを我々にもたらしてくれる。
虫に対する残虐行為によって、『生物は殺せば死ぬ』『生体は危害を加えれば、取り返しのつかない甚大なダメージを受ける』といった類のことを、受け売りの知識ではなく、実体験として教えてくれたのも昆虫だ。
そういった経験が出来ないことは、大いなる損失だ。
また、我々を含めた古い世代にとって、虫は鉄板ネタだ。
『昔はあんなに好きだったのに、今となっては・・・』などと世代を超えて、共通の話題で盛り上がれなくなるのも寂しい話だ。
今年も東京ではセミを元気に追いかけ回す、子供の姿が見られないのだろうか・・・