都道府県の違いを探る。
都道府県変遷の歴史から、東京都の特色、そして「大阪維新の会」が推進する「大阪都構想」までの流れをまとめてみる。
1868年(明治元年)
江戸幕府の直轄領のうち江戸・大阪・京をはじめ、重要管轄地域を「府」、それ以外を「県」と称した。
【箱館府・新潟府・越後府・江戸府(後に東京府に変更)・神奈川府・甲斐府・度会府・大阪府・京都府・長崎府】
幕府の直轄地以外は「藩」として、引き続き大名が治めた。
1869年
三都(東京・大阪・京)以外の府を「県」に名称変更。
1971年12月
統廃合により1使3府72県に整理。
現在
終戦後の変更により
1都 1道 2府 43県となって今に至る。
地方自治法によると「基礎的な地方公共団体である市町村を、包括する広域の地方公共団体」となる。都道府県の格付けは同格。「県」は広域地方自治体の基礎的名称。
名称の「県」や「府」は中国の地方制度の名称から拝借したもの。
江戸時代の北海道は、ほんの一部を除いて 江戸幕府の支配が及んでいなかった為、明治以降は新たに作られた管轄機関の名前で管理された。(開拓使 ⇒ 1使、北海道庁 ⇒ 1庁)
ちなみに「道」とは、日本の古来の律令制である「五畿七道〔ごきしちどう〕」における、行政区画のひとつ。
法律上は「府」「県」と同じだが、警察法・河川法・道路法などに若干「道」特有の特例を持つ。
東海道・東山道・山陽道・山陰道・北陸道・南海道・西海道・北海道(新設)
東・西・南(海道)は存在したが、北のみ存在していなかった為、北海道と命名。
元幕府の直轄地のうち、非常に重要な場所に付けられた名称。役所を意味する「府」を付けることで、政府が厳しく管理することを示す狙いがあったと推測される。
「県」との違いは、歴史的背景のみ。現在の法律上での違いはない。
1878年の郡区町村編制法により、三都や人口密集地には「区」を設置。
1989年麹町区や神田区など15区が集まり、東京市に移行。東京府から分離された。
その後も拡大を続け、最盛期に現在の23区と同等の範囲にまで拡大。
「帝都たる東京に真の国家的性格に適応する体制を整備確立すること」
「帝都に於ける従来の府市併存の弊を解消し、帝都一般行政の、一元的にして強力な遂行を期すること」
「帝都行政の根本的刷新と高度の効率化を図ること」
二重行政による管理のしにくさや、足並みの乱れ、余計な出費などを嫌った結果だろう。
名前の由来は「東京」と「帝都」の組み合わせが「東京都」になったと推測される。
この「市町村」よりも独立性の低い「特別区」に対する一定の調整権を持っていることが、「都」の特徴だ。
つまり、強大な権限を持つ市町村の集まりとしての【広域地方自治体「道府県」】に対して、強大な権限を持つ【広域地方自治体「都」】の中に「区市町村」がある「東京都」は、根本的な構造が異なる。
これは恐らく「東京府」と「東京市」という、強大な自治体が同一地域に並び立つこと(二重行政)を避け、管理体制を強化する狙いがあったと推測されるが、この「特別区」の力を削ぐ政策は、長く「特別区」を苦しめることになる。
2000年にようやく「基礎的な地方公共団体」と認定され、都から相当の独立性を与えられたとは言え、未だにその法的地位は「特別地方公共団体」であり、独立性のより強い「市町村」とは隔たりがある。
「東京23区」を「政令指定都市」や「中核市」に匹敵する力を持つ、自治体と錯覚する向きもあるが、大きな間違いだ。
広域自治体管理・請負業務の一部 ⇒ 政令指定都市・中核都市が請負
(東京都以外の)市町村管理・請負業務 ⇒ 市町村が請負
(東京都23区の)市町村管理・請負業務 ⇒ 都が請負(前述の通り、2000年以降は、それ相応の業務は「区」が請け負えるようになったが、全部ではない。)
「都」も歴史と特色の項目でも触れた通り、「政令指定都市」や「中核市」が巨大な故に、通常の「市町村」より多くの権限が与えられていのに対し、「特別区」は通常の「市町村」よりも地位は低く、出来ることが少ない。
よって「市町村」が個々に出来る、或いはやるべき業務の全てを、「区」が独自にこなすことは出来ない。今だに一部の業務は、都がまとめて管理している。
・広域行政を「大阪都」が、地域行政を「特別区」が担当。
・「大阪府」から「大阪都」へ名称変更するのではなく、あくまでも「東京都」の様な自治体運営を目指すことから「大阪都構想」と呼ばれているに過ぎない。
現状では「大阪市」の権限が強すぎるのだろう。「大阪府」と「大阪市」二重行政は以前から問題になっていたことだ。
ロシアでプーチンが首相になった時のようなものだ。首相と大統領、国の代表が二人いるようで、ロシアの政治家は随分やりにくそうだった。
長年の懸案だった二重行政が解消され、意思決定が迅速に行える、出費が減るなどのメリットがある。
日本有数の経済規模を誇る、巨大な広域自治体である「大阪都」と、その半内部組織として位置づけられる5つの「区」を上手に使い分けることで、フレキシブルな自治体運営を目指す政策だろう。
都道府県の歴史や違いを急ぎ足で振り返ってみたが、いかがだっただろうか?
東京都の歴史と「大阪維新の会」が推める、「大阪都構想」の関係など、なかなか興味深い。
我々関東の人間には関心が低いせいもあってか、「都」になることによって、どんなメリットがあるのかもイマイチ良く分からない。
お恥ずかしい話、会社の後輩に理由を聞かれて、
「かっこいいからじゃない?」
と答えてしまった。
TVのコメンテーターを務めた藤井聡氏が、「大阪都構想」について、
「よく分からない。」
と発言し、橋下市長にフルボッコにされたが、私もイマイチ橋下市長の言い分が理解できない。
ある程度自分なりに理解・納得が出来た時に「大阪都構想」については、もう少し深く掘り下げてみたいと思う。
いずれにせよ、東京都の事例とは時代が違う。強大な権力を誇った大日本帝国政府の政府と違い、現在は国民の方が強い。
トップダウンで強引に政治を推し進めることなど出来る訳もないのだから、橋本市長以下大阪の政治家には、メリットもデメリットもしっかり理解してもらう為の、地道な活動を要求したい。