昨今は世の中がコロナの話題一色だ。
先日中学を卒業したばかりの知り合いがいる。中学校生活最後の一ヶ月は、学校閉鎖となり、満足に友達にすら会えずに卒業しなければならなかった。
そんな彼らに学校最後の日、担任の先生がかけてくれた言葉が素晴らしい。
日々に感謝!君たちは
毎日を当たり前のように生き
当たり前のように学校に行き
当たり前のように友達がいて
当たり前のように勉強し
当たり前のように遊び
当たり前のように家に帰って行く。
毎日を当たり前のように生き
当たり前のように学校に行き
当たり前のように友達がいて
当たり前のように勉強し
当たり前のように遊び
当たり前のように家に帰って行く。
その当たり前だと思っていたこの現実が、
身をもって知ることが出来ただろう
50代中盤で亡くなった女性の葬儀に想う。
女性の平均年齢を鑑みれば、あまりにも早い。まだまだこれからだったのに・・・
周囲に渦巻くやるせ無さで、こちらの呼吸も苦しくなる。
しかしながら、人間とは身勝手な考えの生き物だ。
私の両親は今のところお陰様で2人とも健在だが、先述の先生の言葉を借りるなら、私自身、
生きているのは当たり前!当たり前のように毎日を過ごし
当たり前のように親がいて
その親が当たり前のように毎年歳を取り
当たり前のように平均年齢くらいまで生きて
当たり前のように私が送り出す
当たり前のように親がいて
その親が当たり前のように毎年歳を取り
当たり前のように平均年齢くらいまで生きて
当たり前のように私が送り出す
そう信じて疑わない。
しかし、この世に当たり前だと軽んじて良い日常など存在しないのだ。
当たり前だと思っている現実が、当たり前に存在することの有り難さを、故人が身をもって私たちに教えてくれた。
この教えを無駄にしなためにも、今日も生きているのとに、周囲の人間がただそこにいてくれることに、そして当たり前の日常が当たり前にあることに深く感謝し、いちにちいちにちを大切に生きていかなければならないのだ。
故人様の心よりのご冥福をお祈りして・・・
合掌
そう言えば先日、日本の国民的スターが突然、家族に面会することも叶わず、ひっそりと骨になった。
本人を含めて誰がこんな現実を誰が想像しただろうか?
だがしかし、もうテレビの向こうの楽し気な(存命の)志村けんさんを見て、笑う日常は戻ってこない。
日常とはかくも儚きものなり・・・
まるで春の風に舞うサクラの花びらの様に・・・