誰の葬儀においても辛く悲しい思いは一緒だが、若くして逝去された人のそれは、また格別に辛く哀しい。
それが年端もいかない子供なら、なおさらだ。
この世の生き地獄・・・
そんなことを考えながら、小さな棺の前に崩れ落ちる両親と、苦渋の面持ちで法話する僧侶の姿を、遠目からぼんやりと見つめていた。
私事で恐縮だが、私にも息子がいる。
今では何事もなかったように元気に走り回っているが、生まれたての頃は早産でなかなか大変な思いをさせられた。
妻は胎盤の形状が普通分娩で子供を産むには、いささか不都合な体であった。自宅で経過観察中に容体が悪化して担ぎ込まれた病院で、これ以上出産日を引き延ばすのは、母体が危険だと判断された。
そんなこんなで緊急オペにより帝王切開で取り出された未熟児の息子は、当然ながら未完成の部分が多かった。
特に呼吸器系の発達が未熟で、自力呼吸が難しかった。
突然呼吸が止まる、そんな極めて危うい状態で産まれてきたのが息子だった。
これがその時の主治医から言われた言葉だった。
今しがたパパになったばかりのペーペーの新米パパには、いささか酷な話ではないか。
初めてパパになったと思ったら、一瞬にして次は初めての喪主か・・・
それから数カ月は満足に眠れぬ日々が続いたが、葬儀屋という職業柄、息子の葬儀をどうやって行おうかという事ばかり考えてしまう自分に、ほとほと嫌気がさす毎日だった。
そんなある日、息子の入院する病院のロビーでウトウトしてしまった時のことだ。
あろうことか息子が亡くなって、葬儀をしている夢を見たのだ。
ハッと飛び起きると、体中が脂汗でじっとり濡れていた。
いよいよその時が来たのかと、覚悟を決めたが、同時に(こんな思いをするくらいなら、いっそ生まれてこなければ良かったのか?)と、つい本気で考えてしまった。
しかし、慌てて病室に掛け上がり、ガラス越しに保育器の中でスヤスヤと眠る息子の寝顔を見たその瞬間、頭をよぎった邪な考えはすぐに消え失せた。
やはり私はこの子に会えて良かった!
産まれて初めてパパに成れた。何とも気が早い話だが、息子に子供が産まれて、おじいちゃんになる未来まで想像して、妻に笑われたりもした。
短い間だったが、寸暇を惜しんで息子の元に通い、思えば予想をはるかにしのぐ程、色々な思い出が手元には残っていた。
(私の元にやって来てくれて、私に会いに来てくれてありがとう…)
心からそう思えた。
その後幸いにも、医者の言うところの【驚異的なリカバリー能力】というやつを存分に発揮して、見事に周回遅れを取り戻して、元気に退院。今この瞬間もパソコンに向かう私の横に仁王立ちして、笑顔で私の顔に蹴りを入れている。
今では、本当に首のひとつも絞めてやろうかと思う瞬間の連続だ。
まぁ、それは冗談(たぶん…)だが、私があの時心に抱いた感情は、不本意にも大切な子供を亡くした全ての親に共通するものだろう。
そしてその思いは、恐らく、いや間違いなく故人も同じはずだ。
僧侶の言う通り両親は、これから毎日故人の為に手を合わせるだろう。
その時はどうか、
『あんなことしてあげられるくてごめんね…』
『こんなことさせてあげられなくてごめんね…』
『丈夫な体に産んであげられなくてごめんね…』(このセリフは子供を病気で亡くした親が必ずと言ってよいほど口にする)
ではなく、
『一緒にあんなことしたね』
『こんなこと出来て楽しかったね』
『私たちの娘に産れてきてくれ、弟に産れてきてくれて、孫に産れてきてくれて有難う!嬉しかったよ』
どうかそんな思いを、セリフを投げかけてあげてほしい。
それが故人にとっての一番の喜びであり、何よりの供養になるに違いないのだから。
合掌