絵に描いたような哀れで惨めな人生だった。一体ワタシの人生って何だったんですかね?
火葬が終わり、喪主(故人の長男)さんを車に乗せる。
60歳前後だが、深いシワに加え、酷く曲がった腰のせいか、見た目はひとまわり上に見える。
喪服は持っておらず、ヨレヨレの青いジャンバーに、古びたジーパンという出で立ちだった。
会社の近くだったこともあり、ご自宅まで送って差し上げたのだが、冒頭のセリフはその帰り道、ポツリと彼が呟いた言葉だ。
80代女性の葬儀。式は執り行わずに、火葬のみの葬儀だった。
この親子には他の身内はおろか、友達や知人と呼べる類の人間は誰一人としていない。
立ち合いは彼1人だけの、寂しい見送りだった。
その日の彼の体調によっては、最悪誰も立会わずに火葬となる手はずだったので、彼が立ち会えただけでも、良かったというものだが…
故人は元々東北の名家出身だったようだが、駆け落ち同然で東京にやって来たそうだ。
喪主さんの他に子供が2人いたようだが、元々病弱な家系だったようで、若くして2人とも亡くなってしまったらしい。
彼が小さい頃の両親は、成人するまで生きられないと言われた2人の弟にかかりっきりで、彼自身親に愛された記憶はほぼ無いという…
2人の弟に先立たれた後は、家族3人で暮らしていたが、父親も20年ほど前に亡くし、故人と2人で暮らしていた。
しかし、母親が認知症になり、進行するにしたがって介護困難に陥っていった。
最後は止む無く、母親を介護施設へ入れる選択を取らざるを得なかった。
お互いにとってたったひとりの身内だっただけに、これ程苦しい選択はなかったとは、喪主さんの言葉だ。
しかし、それも致し方のないことだ。
何年にも及ぶ介護生活は、障害を持つ彼に相当の負担を強いたに違いない。
彼自身について少し語ると、20代前半で腎臓を悪くし、週3回の人工透析をし続ける人生を余儀なくされた。
左耳は全く聞こえず、右耳も補聴器無しでの会話は難しい。
右目は全く見えず、左目は酷い近視だ。
おまけに背骨が歪曲する進行性の側弯症(そくわんしょう)にかかっており、上半身はもちろん、下半身を含む骨格はガタガタ。当然歩行にも大きな困難が付きまとう。
突然、喪主さんが叫ぶ。
火葬場からの帰り道、スカイツリーの下を通った時のことだ。
そうですよ。間近でご覧になられるのは初めてですか?
私の問いかけに彼が恥ずかしそうに答える。
もう20年近く、透析のために近所の病院に行くくらいしか、外出しない生活だったもので。生きているうちに見れて良かったです。
目を輝かせ、子供のようにはしゃぐ喪主さん。
思わず私の顔にも笑みがこぼれる。
葬儀屋さんは車で都内を走り回っているだろうから、いろいろなモノが見れて良いですよね。私も車を運転して、いろいろな所に行ってみたかった。
私の問いかけに彼がまた悲しそうに答える。
私車が好きでね。憧れでした。だから何度か教習所に相談に行ったんですが、若い頃から耳はダメだったので、免許は取るなって。絶対事故を起こすからって。
気にしないでください。もう諦めてますから。そうだ!それより、ひとつ頼んでも良いですか?
そうですか。すみません。変なこと言いました。忘れてください。
初めて見る浅草は、新鮮なモノだっただろう。
彼はとても喜んでくれた。
有難う御座います!冥土の良い土産になりました。
彼は三度悲しそうに呟く。
私、もう長くないんですよ。30年以上透析を続けてきましたが、血管はボロボロで、平均余命から考えれば、もうとっくに死んでいてもおかしくない。見て分かるところはご覧の通りですが、体の中もあちこちに色々とね…だからこれでもよく生きた方です。でもさすがにもうそろそろ限界かなって最近分かるんですよ。自分の体ですから…
返す言葉が見つからない。
また自宅と病院を往復するだけの日々ですよ。医学が進歩して、辛うじて生かされてるけど、こんなんじゃ生きてる意味ないですよね。一体ワタシの人生って何だったんですかね…
冒頭の一言だ。
でももう良いんです。色即是食ぅさんのお陰で、母も無事送り出せましたから。
でも・・・ひとつだけ心残りがありまして、母には可愛そうなことをしました。コロナさえなければなって・・・それだけが心残りで・・・
喪主さんの話によると、母は認知症になっても、息子のことだけは辛うじて忘れなかったようだ。
週3回、息子が会いに来るのを楽しみにしていた。夕方に訪問する息子に、夕食を食べさせてもらうのが、唯一の生き甲斐だったと言う。
しかし、新型コロナウイルスにより、不急の面会以外は禁止となった。
母は塞ぎ込み、食事を拒否するようになる。日に日に弱っていく母の窮状を知りながら、息子はどうすることも出来なかった。
元々心臓が弱かったところに、水分補給を十分に行わなかったことが災いし、急変の知らせを受けて駆けつけた息子の到着を待たずして、母は逝ったそうだ。
まさに踏んだり蹴ったりの人生ですよね。腕が無いとか、足が無いとか、もっと分かりやすい障害者だったら社会の救いの手ももっとあっただろうに、私のように、なまじっか中途半端はダメですね…
私はたまらずに車の窓を開ける。
しかし、急に降り出した土砂降りの雨が、外の空気を吸い込むことすら、許してはくれなかった。
しばらくして、車はゆっくり自宅のある古びた都営住宅の前に停車する。
本当に有難うございました。色即是食ぅさん、子供はたくさん産んであげてくださいね。親を独りで見送るのは寂しいですから。
そう言ってニコッと微笑むと、土砂降りの雨の中、母の遺骨の入ったバックを大事そうに抱えて、建物の影に消えていった。
寂しい後ろ姿だった。
お釈迦様は【生きることは苦しみ】と説いた。
実際ネットで『人生』と調べると、つまらない、辛い、面白くない、じんどい、楽しくない、やり直したい、暇つぶし、不安、諦める、不幸、地獄、ゴミのようだ、どうでもいい・・・
これでもかとネガティブなキーワードが並ぶ。
かく言う私も最近公私共に、あれこれ大変なことが続いて、面白くない日々を送っていたのだが、彼の後ろ姿を見ながら、一体私は何に不平不満を抱いていたのだろうか?と思ってしまった。
別に彼の人生と私の人生を比べるつもりもないし、最近流行のマウントをとるつもりもない。
ただ純粋に、『私は贅沢だ!』
そう思ったことは確かだ。
恐らく死が訪れる束の間、彼には元の病院と家を往復するだけの人生しか待っていないだろう。そこには唯一彼を心配してくれる存在はもういない。
たった1人の話し相手すら亡くし、言葉すら忘れていくのではないかと、彼は酷く怯えていたっけ。
煩わしい人間関係があったとしても、周りに自分を思ってくれる人間がいるだけで、私は幸せだ。
いくら綺麗事を言っても、私には彼の友達になってあげることはできない。
せめて最期は施設に入って、誰かに看取られながら、安らかに逝くことを祈ってやまない。
それが彼のたったひとつの望みだというのだから…