結婚に反対する毒親
毒親育ちが非常に苦労するもののひとつが結婚です。
私には妹が居て、少し前に結婚しました。
両親の毒親らしい振る舞いは、私より妹の方が直接被害を受けていました。
直接言葉で駄目出しをするのです。
兄妹で違う毒をぶつけられていた(兄弟差別)
特に容姿に関しては、はっきりと文句を言っていました。
体型や、身長に関することです。
人のことはとても言えない体型の親のどこに、そのようなことを言う資格があるのか、という感じです。
妹は長らく男性と縁が無かったと思います。
そのことをネタにして、
などと親は言っていました。
私は、両親は妹が結婚することで、自分達を超えていくのが嫌だったのではないかと思います。
家庭内に一人叩かれ役が居ることによって、それ以外の人の地位が安泰するのです。
これはいじめと同じ構図です。
馬鹿にされる役が妹だったとすると、私は名誉は与えられるものの、ただ操られるだけの役でした。
だから私は思考がストップしてしまいましたが、妹はそんな私を盾にしながら、自分のしたいことをしていったように見えます。
誰と結婚するかを極端に気にする
さて、妹の結婚相手は、比較的経済力のある人でした。
これを両親がどう思うか。
前にもお話したように、毒親はお金が非常に大事です。
自分の次に信じられるものはお金です。
お金によって幸せが確保できるし、お金があることが力の証明にもなります。
過去に母が持ち家を私にちらつかせて、言うことを聞かせようとしたのもその表れです。
両親は、娘が自分たちより裕福になるのは、素直に喜べないでしょう。
普通の相手との結婚だったとしても、素直に祝福はできず、何か茶化したようにしか祝えないのが、目に浮かびます。
増してや、自分たちより【ステータス】の高い人と結婚するとなると、敗北感めいたものを感じているはずです。
この辺りは、私の結婚の際に言われたことも含めての推測です。
ぎこちない雰囲気の新婦側のテーブル
結婚式が終わり披露宴の時、会場に行くと、新郎側の方がたくさん人が来ていました。
新郎側は付き合いも広く、明るい人が多いようです。
新郎自身も多数の友人や同僚と仲が良いようでした。
妹も複数人友人を呼んでいましたが、新郎側ほどの人数ではなかったです。
それは良いのですが、問題は私達のテーブルで、私達夫婦と両親が居るテーブルは、あまり祝福ムードではありませんでした。
両親が何も喋らないんです。
おめでたい場なんだから、相手の家との付き合いもあるし、楽しそうにすればよいのに、なぜか落ち込んだ雰囲気でした。
こんなに居心地が悪い場所も、あまり経験がありません。
なぜもっとわかりやすく、祝ってあげられないのかと思います。
新郎側の両親と対照的
披露宴も終わりの方になって、新郎側と新婦それぞれの両親が、皆の前で挨拶をする時間になりました。
その時に前に出てきた親夫婦が、真逆過ぎて笑えました。
新郎側の両親はリラックスして、にこやかに立っているのに対し、私の両親は不機嫌で、何か晒し者にでもされているような顔で立っているのです。
父母二人とも。
いや、やっぱり笑えません。
私はとっても情けなくなりました。
私が幼い頃怖れ、尊敬し、無くてはならない存在だった両親が、前に立っているその姿を見て、私の幼い頃の日々が、この人たちによって作られたんだなと思うと。
この人たちの遺伝子を、私は受け継いでいるんだなと思うと。
やっぱり普通の家に生まれたかったなと、思ってしまいます。
公の場であのような態度になるなんて、実際どのような心境なのか知りたいものです。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。