毒親とは(特徴)
最近になりよく聞くようになった毒親という言葉ですが、広義的には子どもの成長に悪影響を与える親を指します。
毒親とは、”毒になる親”(英語でtoxic parents、toxicは毒、parentsは親の意味)を略したもので、スーザン・フォワードという人が作った言葉です。
幼少期から毒親に育てられることで、極端に自己愛の強い大人になったり、あらゆることに無関心な大人へと育つ可能性があるのです。
そこで子どもの健やかな成長を妨げる毒のような存在という意味から、近年では毒親と呼ばれるようになりました。
毒親の意味
それでは毒親とは実際どんな親なのでしょうか?
毒親の特徴1.否定と支配
そんな毒親に現れる最も大きな特徴は、『否定と支配』です。
子どもの言うことは何でもダメ、片や親の言うことは絶対、そのような価値観を持っている親は典型的な毒親になります。
否定する親
例えば暴力によって子どもを抑圧することは言語道断ですが、言葉の力で子どもの可能性を狭めていくことはどうでしょうか。
仮に子どもとこのような会話をしていたとして、実はこうした対応の仕方も立派な毒親の特徴なのです。
自らの子どもが持つ能力や可能性を独断で判断し、無理だと最初から決め付けて挑戦の舞台にすら立たそうとしない、このような根拠のない否定を繰り返す親は毒にしかなりません。
干渉して支配する親
または自分の判断が常に正しいと思い込み、自分の思い通りの枠の中で子どもを動かそうとする親もいます。
など、子どものあらゆる事柄に干渉をしては、自分の価値観を押し付けます。
よって子どもの中にある自主性がどんどんと損なわれ、やがては自分で考えて動くということができない大人になってしまうのです。
もちろん習い事の否定などは、経済的なことを理由に断るのであれば悪くありません。
問題は親自身が自分の感覚を絶対化し、それを曲げないことにあります。
どういうことか、自分よりも遥かに幼い子どもの感覚を心のどこかで見下し、考えが甘いだとか親のできないことをできるわけがないと思うのです。
ですから万が一子どもが反発をするようなことがあれば強い口調で、ときには人格を否定するような言葉まで並べます。
まさに親自身の人格が、子どものままで止まっていると言ってもいいでしょう。
毒親の特徴2.放置や無関心(育児放棄)
その次に多い毒親の特徴が、【放置や無関心】です。
こちらは前述の内容と対極の位置にある特徴で、いわゆるネグレクトタイプの親が当てはまります。
子どもは小さいときにほど、親に沢山甘えたいものです。
そして親はそれに応えるため、言葉や触れ合いでスキンシップを重ねます。
ところがネグレクトタイプの親はこうした行為が一切できず、自分の趣味などに没頭してしまうわけです。
ではそれが完全に育児放棄と判断できるかとなると、それは難しいのが厄介な部分です。
最低限の栄養は摂らせ学校にも行っている、そうなれば然るべき団体や機関も間に割って入ることができません。
子どもへの愛情の注ぎ方は家庭次第なところもありますし、命の危険が迫っているようでなければ行動を起こせないのです。
ですから子どもは誰にも自分の孤独を吐露できず、それでも年は重ねて大きくなっていきます。
結果的にその子どもは他者との触れ合いに慣れていない大人になり、なかなか円滑な人間関係を築けなくなってしまうでしょう。
或いは誰彼構わず愛情を求めるようになってしまい、いつの間にか良くない人と繋がりを持ってしまうこともあります。
何よりも親からそうした育てられ方をしたことで、自分が親になったときに子どもの愛し方を知りません。
ネグレクトが新たなネグレクトを呼ぶ、このような連鎖を生んでしまうのも毒親がもたらす悪い影響なのです。
毒親になるのはどういう人?
以上のように毒親の特徴を語る上では、【否定と支配】【放置や無関心】がキーワードになります。
これらに共通することは親の自己愛で、子どもを支配したその先に自分自身の正しさを再確認しているわけです。
【自己肯定や自己承認】、こうした欲求が強い親は毒親になりやすいのかもしれません。
若しくは子どもの相手よりも自分の好きなことを重視する、これも立派な自己愛です。
明らかに親としての責務を放棄し、自分のやりたいことを優先するその姿は、とてもまともには見えません。
ある程度の年齢になれば、ときには子どもを突き放すことも重要でしょう。
ただ最初から子どもに無関心な親、それは毒親以外の何者でもありません。
毒親は昔からいた!?
毒親は近年になり増加傾向にあると言われていますが、実際には昔から大勢存在していたとされています。
それが最近の定義付けにより認知されてきたため、急に増えたように錯覚しているのです。
もしかしたら私の親も毒親だったのかも、そう思っている人も少なくないのではないでしょうか。
仮にまだ自分自身が親になっていなくとも、将来のためにしっかりと毒親の特徴を把握しておくべきなのかもしれません。
毒親育ちが身につけていく毒親的で嫌な特徴・行動
ここまで毒親の特徴についてお話ししてきました。
それでは、毒親に育てられた私が親そっくりになっていく過程で、どういう性格や考え方を身につけていったのか?
毒親育ちがみな親そっくりになっていくわけではありません。
でも、気づいた時には自分の一部が既に毒っぽくなっていることがあるのです。
一言で言えば陰でコソコソする陰湿なヤツって感じですね。
そういう性格の悪さは手遅れになる前に修正しなければなりません。
毒親持ちの方はどうぞ反面教師にしてください。
嫌な特徴 外ヅラがよい
これは複数回指摘されましたが、自分でもわかります。
猫をかぶるとかそんなのではなく、初対面では自然に感じがいい人なのです。
最初だけですが。
ある意味自然体の自分の醜さがわかっているのだと思います。
二度、三度と会い、新鮮味が薄れてくると段々本性を出していきます。
外向きの顔をしなくてもよくなってくると、途端に態度が悪くなります。
無言になったり横柄になったり相手を雑に扱ったりしてどんどん自分の評判を落としていきます。
しかし、要所要所でいい人ぶろうとします。
明らかに自分より格上の人に対してはずっと丁寧な態度をとり続けます。
そこが外ヅラがいいと言われる所以です。
その反面、自分が見下す人に対してはこれでもかとばかりに馬鹿にした態度をとります。
最近はフラットに接するように気をつけていますが、心の中では人を見て態度を変えようとしているのできっと周りには伝わっているでしょうね…
これは世間体にこだわる親そのまんまな感じです。
自分の立ち位置ばかりを気にして、まともな人付き合いができていないんですね。
自分と他人を比べる癖を無くさないとどうしようもありません。
嫌な特徴 人の不幸を喜ぶ
不幸が好きなのではありません。
他人の不幸を見て自分はそれよりましだと安心するのです。
毒親っぽい人は常に幸せに飢えていて、不幸な気持ちの中に居る人種です(ただし自分が不幸だとは認識していない)。
それゆえに自分の幸せを実感するにはわかりやすい比較対象が必要なのです。
当然そうやって自己確認したところで、本当の幸せとは縁遠いです。
私の親は天災や事故に遭った人と比べる不謹慎ぶりでした。
聞いている側は本当に不愉快です。
しかし、そこまではいかなくとも私自身も他人の失敗で安心していることがあり、そのときは自己の弱さと共に嫌悪感を感じます。
毒親的な行動 状況を不正にコントロールしようとする
毒親は私を安全圏から好きなように操ってきました。
そこに直接的な命令はありません。
全て非言語コミュニケーションなど遠まわしなやり取りです。
私の反応を見て手を変える後出しジャンケン方式でした。
私も他人に対してできるだけ曖昧な言動をして状況を好きに操ろうとします。
自分にとって都合の良い言葉を相手から引き出そうとします。
ですが幼い頃の私と違ってみんな賢く、その手は通用しないので最近はやめるようになりました。
毒親育ちらしい行動 他人の嫌がることをする
人との交流をある意味放棄している毒親育ちは、自らの歪んだ楽しみのために他人に嫌がらせをします。
人が嫌がれば嫌がるほど盛り上がります。
何が嬉しくてそういうことをするのか、自分でもわかりません。
大人になった今はあからさまな行動は控えていますが、心の中では大笑いして相手を馬鹿にしていること多数です。
これもやっぱり伝わっているでしょうね…
直す気は多分ない
自覚していながらも直さないのは改善する気がない証拠だと思います。
問題意識はあるのですが、直したからといってどうなる?と思っている自分がいます。
周りはどう思っているかわかりませんが、こんな自分でも一応普通にやっていけているので社会はある意味寛容だと思います。
今回はこんなふざけた文章を書いて申し訳ないと思うのですが、これで少しでも外ヅラの良さを省いたリアルが伝われば、と思っています。
追記(一年半後)
この記事は一年半前の記事なのですが、この頃と比べると今の私は随分まっすぐで冷静になりました。
上に弱く下に強いところを改善したところ、プレッシャーが減りました。
外面がよいときってずっと緊張状態だったんだなと思います。
誰に対しても本音で向き合う精神が持てなかったんだなと気づきました。
本来の自分に歪みをかけているときって、それを利用しようという「同じ歪みを持っている人」も近づいてくるのでどんどんおかしな方向に行ってしまうんですね。
そして気づいたら見えない敵と戦っているという、悪循環ぶりでした。
上記で『直す気は多分ない』などと強がっていたのですが、むしろ直さないと本人がかわいそうだという事案です。
毒親育ちの特徴とはよく読むとどれも自分が最下層だと思い込んでいて、必死が故の行動だとも読み取れます。
それを当時の私はズルをしているけどやめない、という感覚で書いていたのですが、今見るとその感覚もズレています。
そのようなズルをせざるを得ない自分を憐れむべきだったのです。
自分を客観的に見ることができても、そこから完全に離れないと変われたとは言えないんですね。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。