もうすぐ母の日ですね。
皆さんはちゃんと親孝行してますか?
母からの怪メール
この時期が近づくと、思い出すことがあります。
5年くらい前の5月中ごろ、母からメールが送られてきました。
その頃は母からのメールがしょっちゅう送られてきて、適当に返事をしていた頃でした。
その内容は、
これだけです。
これってすごくないですか?
『母が母の日です』などと言うと、気を遣わせること必至なのに、言う神経が・・・
しかも他に用件は、書かれていないのですよ。
何を言いたいのか、考えれば考えるほど謎は深まります。
当時の私の反応は無気力なものだった
これに対する当時の私の反応は、正確には覚えていませんが、
ぐらいの当たりさわりのないものでした。
母の日という言葉に対しては、完全に無視しています。
実際、私は母の日だから母に何かをしよう、という人ではありません。
母からプレゼントを強制をされているわけでも、ありませんでした。
では、何も問題はないのか?
あります。
このメールのようなことを言われても、何も疑問に思わないことこそが、意思を持って話を聞くことを、放棄していることの表れです。
母だから何を言わせてもいい、そう思わされていることが、日常で支障を生みます。
母は、
などと、私個人の大事な決定において、よく口を挟んでくることがありました。
このような時に、私は自分でよく考えずに、母の言いなりになっていたのです。
【日頃からわけのわからないことを言う人(母)】を、受け入れていたことによって、大事なことと、そうでないことを判断することを、放棄していたのです。
そして、ひたすら母の言動にばかり、気を集中していました。
これこそ、マインドコントロールです。
社会に出て、こんなおかしな関係を作ることは、普通だったらないはずです。
しかし、幼い頃からの毒親と子の力関係によって、母からの無茶苦茶な接触を、受け容れざるを得なかったのです。
子は親を選べないというのは、哀しいことです。
一人の人間としてこのメールを考えてみる
『母の日です』と言われて、『はい』としか言えなかった私。
当時の私の状態は、本当によく考えていなかったとしか、言いようがありません。
もし、例えば勤務先の社長が、
『おはよう○○君。今日は社長の日です』
などと話しかけてきたらどう思うでしょうか?
怪訝に思いつつも萎縮して、日頃の感謝の言葉を述べることになるでしょう。
後から影で笑い飛ばそうが、あれは冗談だったのだと思おうが、言われたその場で取れる反応は、限られてくるはずです。
『自分でそんなこと言わないで下さいよ』などとは、言えるはずもありません。(明らかなジョークでない限り)
社長の日などは実際にあるかわかりませんが、とにかくこういうことを毒親はしているのです。
では、一人の人としては、そのメールをどのように捉えればいいのか考えてみます。
常識的に考えるなら、
ただの空気が読めない人の、あいさつだと考えるなら、
好意的に解釈するなら、
私の想像力ではこれが限界です。
しかし、どれもしっくりきません。
どんなに意味を考えても、何か単一のことを言おうとしているのではないと感じます。
そして霧のように一帯にかかった、あまり言語化したくないような、おぞましい疑念。
そんなものが私の頭の中にあります。
恐らく母は、こういうことを言いたいのでしょう。
しかし、私は耳を傾けない!
何か用があるならはっきり言わないと聞かないことにしています。
そして、『変なメールを送るな!』とも言わない。
言っても意味がありませんからね。
やはり距離を置くのが一番です。
</p>]教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。