支配型の毒親
対人関係で、自分の行動をセーブしてしまっていた。
突発的に友達に遊びに誘われた時、自分は行ってはいけないような気がした。
遊びに行くと世界が広がるが、自分はそれをしてはいけない気がした。
新しい友人になれる気がしなかった。
一歩が踏み出せなかった。
そんな私の幼少期の話です。
見えない壁があった
目の前にいる彼らは、明らかに自分と違う世界に居ると感じた。
彼らは伸び伸びと自由な世界を探索している。
また、お互い気心が知れた仲間らしく、双方向に気持ちのやり取りをしている。
母親から、一方通行で気持ちを与えられるしかなかった私は、他人に対して母と同じように、一方的に気持ちをぶつけるしかなかった。
対人関係が上手くいかない、そう感じ始めたのは小学3年生の頃だ。
私が思うように行動すると気付いた時には、何故か既に嫌われている。
他人の気持ちを受け入れようとしなかったのが、災いしたのだろう。
毒親の非言語コミュニケーションスキルは抜群
そんなわけで、母親のそばに居るのが一番安心だった。
母親にしか順応できない人間になっていたのだ。
こうなる仕組みは、生まれた時から母親が、隠れたメッセージを沢山発信していることにある。
それはこういう感じのメッセージ。
- 世間の人は信用できないから、近づいていってはいけないよ。信用できるのは母だけだよ。
- 私はあなたが居るせいで、不自由で不幸せなんだから、私を幸せにする努力をしなさい
- あなたのためだったら何でもするから、それを倍返しにして感謝しなさい
- 私を出し抜いて、私よりいい思いをして幸せになることは罪だよ。罪には罰を与えるよ。
もちろん言葉になど出しはしない。
しかし、表情、声、タイミングなどから容易に読み取れる。
少なくとも、母親の気持ちに敏感な子供だったら、すぐに察するだろう。
遊びに行けない理由
あるときは遊びに誘われた時、目の前に母が居て、母にも行っていいよと言われたのに、行けなかった。
まだ仲良くなかった彼らと、新しく友達になれるか不安だった。
この人たちとも仲良くなれるだろうという、ビジョンが持てなかった。
それよりは、どうせこの人たちも私を受け入れてくれないだろうという、ビジョンで見ていた。
また、もし遊びに行って充実した時を過ごし帰ってきたとしても、面倒くさいことになるだろう。
他人の幸せを野放しにしておけない母は、根掘り葉掘り何があったか聞き出すだろう。
そして、私の喜びの心に土足で入って行き、無理やり共有させられた後、『喜びの独り占めはよくないよ』と心にささやかれるのだ。
その後はその友人たちとの付き合いを、完全管理下に置かれるだろう。
母の機嫌が悪ければ『もうあんな子達と遊ぶな』と言われるだろう。
構造的に、健全な自分だけの秘密の領域が持てないことがわかっているので、新しいことを起こすには面倒なことばかりだ。
小学校低学年の時点で、既にそういう感覚を持っていた。
そうして完全に、一人の世界にこもっていった。
その後の人生まで影を落とす毒親の教育
小学生の時だったら、付き合いが悪い奴だという程度で済んだ。
多少おかしな言動をしても、その場限りのことで終わった。
中学生以降は、完全に自分の人格をもって、友人に返事をすることになる。
小学生時代同様に、放課後の遊びに誘われた時も背を向けた。
相手は暇だから付き合ってほしいと頼んでいるのに、何て勝手なことを言う奴だと思い、無理だときっぱり断った。
内心は、友人として遊ぶと、心がはりさけそうになり、自分がわからなくなりそうで嫌だった。
常に一定の状態で自意識を保っておくことが私の務めで、そこから逸脱すると、何が起きるのかわからない気持ちでいっぱいだった。
そんな風に感じて断った結果、彼からはその後誘われないどころか、嫌われるようになった。
遊びたいのに遊べない
私は遊びたいのに遊べないという、矛盾した気持ちがある。
先述のように、誘われた時に思い切って一緒に遊んで、自分の気持ちをどこまでも遠いところまで冒険させることが、本当だったら必要だった。
願望としては遊びたいのに、それを妨げる要因がいっぱいだった。
結果、まともな遊び方ができなかった。
一人でこもったような遊び方をして、それを遊びだと認識して遊ぶのだが、いくら遊んでも、他人が得ているような充足感を、得られている気がしない。
そして、他人が羨ましく見えてくる。
自分も彼らのようになりたいと思うのだが、遊んでも遊んでも満ち足りず、いつまでも卒業できない。
そして、いい年をしても『遊びたい』が口癖の大人になる。
毒親の論理はどこまでも自分を追いかけてくる
この始まりは毒親の子として、生まれてきた時です。
生まれ落ちたその瞬間から、普通の人とは違う風に育つように、コントロールされています。
ある程度の年になって、それにはっきりと気付いてからも、なかなか修正はできません。
毒親の子の思考能力しかないから、自然と毒親を否定するような項目は、削除されています。
全てが毒親にとって都合がいい情報、思考しか頭に存在しないのです。
気付いたところから、少しずつ新しい色に塗り替えていくしかありません。
ですので、毒の思考から抜け出すのは、膨大な時間がかかることになります。
自分のような体験は、毒親もきっとしているはずですが、それでもなお自分を改善せずに年を重ねている親に、はある意味同情します。
自分で幸せを得ようとせずに、子供に幸せにしてもらおうと考えていたからこそ、自分を改めることなく生きてきた親。
しかし、その子供は毒親の魂胆に気付いて、離れていこうとしているのですから。それは足を骨折している人が、松葉杖を奪われるようなものです。
この事実自体が、私に罪悪感を感じさせるように働きかけてきます。
自分は自由になっては、いけないのではないか。
今さら親を見捨てるなんて、人として間違っているなどという、葛藤と戦うこともあります。
本当は見捨てるという認識自体、おかしいのですが。
そう、見捨てるという認識は既に親の発想で、本来は自力で幸せを掴む努力をしない人を、助ける義務などないのです。
子供時代は純真で、素直で、そして生命線を握られているからこそ、何も疑問に思わずに親の考えを、受け入れていただけです。
もうそういう時代ではないのだから、自分が大人になったときこそ、見切りをつけるときです。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。