子供を拘束する毒親
思春期の価値観
私が高校生~大学生の頃は、男はどれだけ女と遊ぶかで、自分の充実度が決まるところがありました。
価値観が今ほど多様じゃないから、自分の幸福度を測る指標があまり無かったんですね。
今の若い人とはあまり話さないからわからないけど、今はそこまで行動的にならなくても他に楽しく過ごせる方法はいくらでもありますよね。
でもその当時は自分から動いて何かを手に入れないと何も無いような時代でした。
だからこそ、私は躍起になって自分を磨き、ナンパなどにもチャレンジしました。
中学から男子校育ちだったから、そうでもしないと女子と知り合う機会が無かったんですね。
自己肯定感は低かった
思春期に入ってからの私の自己評価は、【世界一ダサくて終わっている男】でした。
世間からかけ離れた感覚の家で育った私は無神経で、美的感覚が無く、モラルも無く、ユーモアのセンスも無く、見かけもダサく、中学ではいわゆるオタクグループ所属でした。
でも毒親家庭の価値観に基づいて自分は素晴らしく、世間は下らないもので、自分の方が優位に立っているとも無意識に思っていました。
こういうのは自己愛性人格障害に近いと思います。
ただ一点、それとは異なるのは私が容姿に関しては客観性を有していたことでした。
自分がダサいということは認めて努力をしたのです。
その結果、自分に自信を持てるようになり、周りからも認められました。
恐る恐る自由を獲得しようとする行為だった
そこで彼女をつくろうと行動したのですが、まず話が続きませんでした。
私は究極のコミュ障だということがそのときわかりました。
でもそれはいいんです。
自分が何とかしていくべき部分だとわかっていました。
問題はこんなことをしていていいのかと落ち着かない気分になり、汗までかくことです。
もちろん緊張はしていますが、単なる緊張ではありません。
そこにあるのは母に罰されるという恐怖心です。
そう、私にとって彼女をつくることは、母を裏切って自由になろうとする行為でした。
当時は母に対して何の気持ちも抱いていなかったのですが、今振り返るとわかります。
毒親の歪んだ愛に縛られた私は、無理やり母の方を向かされ、外に逃げられないようにされていました。
もし逃げようものなら生かしてはおかんぞ、というような恐怖感がありました。
私が思春期に恋愛に関して母から吹き込まれていた言葉はこうです。
なぜか恋愛に関しては禁止事項しか言われないのです。
これではまるで『自由になれると思うなよ』と言われているみたいでした。
それだけに、余計に反発してその自由になろうとする行為に走りました。
しかし、毒母からのプレッシャーには勝てませんでした。
最初の取っ掛かりの女子と知り合うところまでは上手くいっても、段々自分がしてはいけないようなことをしているような気分になって行き、全然楽しめませんでした。
相手からも挙動不審になっていく私を見て嫌がられました。
根本的な原因は決して私があがり症ということではなく、毒親のコントロールが正確に行き届いているからだということです。
しかし、当時の私は自分に能力が無いのだと、段々自信を無くしていきました。
遊びではなかった
彼女をつくるために人一倍努力した私。
私にとってその努力は、毒親支配から自由になるための試みでした。
だけど不可抗力に近い毒親コントロールによって、自らチャンスを棒にふってきました。
高校生としてするべきことを殆ど放棄してまで力を入れたのに、人並みの成果が得られなかったこと。
この事実はどう繕おうが、私の心に突き刺さることとなりました。
上っ面だけ整えたところで心年齢が5歳で止まっていて、自己肯定感の低いコミュ障にはしっかりした行動などできるはずもありませんでした。
それに加えて、心の中で母が私を呼び寄せる声がするのです。
それを振り切っていく罪悪感には、勝てませんでした。
転落を食い止められない
このようにして私は挫折しました。
更に悪いことには私は挫折したことを認めようとせず、行動を見直そうとしませんでした。
プライドだけは山のように高かったのです。
その結果、女性と話すだけで動悸がして、汗が止まらないようになりました。
それは更に悪化し、同性とも話すことが苦痛になってきました。
段々自我を支えられなくなってきたのです。
その後は空白どころか、無いほうが良かった数年間を過ごしました。
一事が万事
私はこれまでの人生において、女性との関係についてはかなりの後悔があります。
人生の大事な時期を、何のために生きてきたのかという思いがします。
女性経験については拘りが強いので意識にありますが、でも実は自覚していないだけで他のことについても同様だったと思います。
私の行動は自分の素直な欲求に基づかず、何か歪んだ動機が絡んでいることが多いのです。
結果段々と失速していき、自然消滅していくのです。
この自分でも何がしたいのかわからない感覚で生きていることが、自分の人間としての輪郭を小さくしているのだと思います。
素直な欲求に基づいて小さな頃は日が暮れるまで遊んで、友達と色んなところに行ったり、料理や親の手伝いに挑戦したり、毎日が冒険のような日々を過ごすこと。
思春期は勉強だけでなく、部活や身のまわりの世界にも興味を持って、自然に伸び伸びと過ごすこと。
こういった普通の日常が無い人間は、最終的に何も残るものがなく年をとることになります。
それが人生経験が少ないということです。
後に残った感想としては、自分らしく生きられなかったということになります。
私はこの事実を認めて、これからは人生経験を積んでいきたいと思います。
心年齢という概念
今の私は30代半ばですが、心年齢が5才で止まっていたのが、動き始めて15年くらい経ちます。
実年齢はともかく、この理論でいくと、今の私は二十歳くらいということになるでしょう。
実際、ちょうど二十歳くらいの感覚で、生きていると思います。
馬鹿馬鹿しいかも知れませんが、私は本気でこの心年齢を信じています。
自らの意思で生きることと向き合い始めてから心が変わってきた。
現在はこの心の言うことを聞いて、素直な気持ちで育てていくようにして生きています。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。