毒親の喧嘩必勝法
毒親にコントロールされた子も、たまにはやり返します。
例えば親の傲慢さに腹が立った時など、時には正論を言って親に抵抗します。
子供は束の間親から解放され、少し自分を取り戻した気になります。
そうしてその後は親がどう出るか、を待ちます。
果たして謝ってくるか、それとも何か釈明をしてくるか、逆切れするか。
毒親と子の喧嘩はワンパターン
正解は【毒親はその後何もしません】
もちろんわざとです。
そうすると子供は自分はやりすぎてしまったのではないかと心配になって、親の機嫌を伺いに行ってしまいます。
これでは親の思うツボです。親は今かとばかりに、
などと、冷たく突き放します。この時の母は、実に堂々としています。
そして、本当は親の顔色が気になる子供は、罪悪感にとらわれ始めます。
そうして心がグラグラ揺れ始め、母に抵抗したことを後悔してしまい、母に謝ります。
すると待ってましたとばかりに、母そんな子供を許すのです。
私の少年時代はそんな感じでした。
まるで無敵な毒親
正しいと確信できることを主張したのに、思いはやぶれて惨めさは倍になります。
母は一体何を考えていたのか?
私が楯突いたことをどう思っていたのか?
その答えは大人になってわかりました。
それはずばり、私が楯突こうが正しさを主張しようが、母は何とも思っていないのでした。
びくともせず、動じません。
毒親にとって子供と争うことは勝率100%の楽勝な戦いなのです。
いや、子供を弄んでいるだけと言って差し支えありません。
幼少期から丹精込めて自分に逆らえない人間を作り上げたので、子供に負かされることはありません。
親の手のひらの上で弄ばれる子供と言うわけです。
罪状発行権を持っている毒親
子供が何かややこしいことを喚いてきても、全く取り合いません。
むしろ、毒親は『それ来た』とばかりに、自分に反抗したことを罪と定め、心の中で子供を罰します。
この、【好きなように罪状を発行できること】が、毒親の特権です。
子供としては、震え上がる思いがします。
何が罪に認定されるかはわかりません。
親が気に入らないことを罪とするばかりか、親が子をコントロールするために、何でもないことまで罪とすることもあります。
そうして素直だったことまで罪にする毒親
私は母から素直な性格だとよく言われました。
それは褒めている感じではありません。
というのですが、声のトーンからは、
と、言われているようでした。
素直であることが私の罪なのです。
これが仮に『素直』ではなく、『優しい』や『気が利く』などでも、難癖をつけるかのように、罪に定められたでしょう。
おかげで私は自分に対して、言われた通りの認識を持ち、自己肯定感は下がっていきました。
母に迷惑をかけているんだという罪悪感まで感じました。
私は母をそれ以上失望させないように考え、ゆるしを乞いました。
私はまるで媚びるような態度で話し始めます。
母は、そうやって私の意識を独り占めしたことで満たされると、ようやく私をゆるしました。
素直であることを罪に定める理由は、私をコントロールするため、ただそれだけです。
こんな理屈を超えた横暴が、毒母には許されているのです。
毒母は自分の子供に対しては、こんなことができるのですから、子供を一生手放すつもりなど無いでしょう。
子供が自立することなど、喜ばしいことではないばかりか、自分への裏切りに他ならないと考えているはずです。
本当に恐ろしい世界です。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。