毒親によるコミュニケーション障害
人生で思春期に差し掛かったとき、人並みに行動できないのはなぜか悩みました。
自分はダメな人間ではないだろうか、とも思いました。
しかし、それは本来の私がそうなのではなく、身近に同じ性質を持つ母がいたからだという話です。
人付き合いに悩んだ思春期
思えば、私の幼少期は思いやる気持ちや、子供らしさに欠けていました。
思春期には若々しさがありませんでした。
興味を抱く対象もゲームや賭け事など、一人で遊ぶものばかり。
特にスポーツに対する苦手意識は、大きかったんです。
体が思ったように動いてくれないのですよ。
まだ柔道、剣道、体操など一人で行うスポーツはマシでした。
サッカー、バスケなどは他人と協力ができず、重要な場面では体が固まり、動けませんでした。
他人が何を求めているか、考えれば考えるほどわからなくなっていく。
これはコミュニケーション全般がそうで、会話もどんなことを話せばよいかわからず、ぎこちない人付き合いがほとんどでした。
中学生の始め頃には『人と何を話すか』を、ノートに書き溜めていました。
同級生と二人きりになった時に、沈黙が続くのを私なりに気にして、解決しようとしたのです。
このノートを一度同級生に見られたときは、恥ずかしくて消えてしまいたくなりました。
私は思春期までは、どうして他人と上手く接することができないのだろうと、深く悩みました。
アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)の存在を知った時は、自分はあてはまるのではないかと思いました。
しかし、根本的なところが違う気がする。
というのは、自分でも原因は何か実はわかっているのではないかと、感じていたのです。
もっと身近なところに、自分がうまくいかない原因があるのではないか、と。
実はそれは母の世界観だった
私の日常がうまくいかないことは、私の性格が原因ということで済ませる前に、見過ごせないことが一つあります。
それは、私から見た母のイメージが、こういう世界観であることです。
母は外では主婦友達と雄弁に話していましたが、家の中では口数が少なく、黙っていることが多かった記憶があります。
その黙っている時が、その顔どういう顔なの?と言いたくなるような、何ともいえない顔をしていて、不安になったのを覚えています。
何か、人生で人に言えないような大きなことで、悩んでいるように見えました。
そしてその顔の意味を想像したりして、非言語コミュニケーションで、母の世界観を学習してしまいました。
我が家の雰囲気が変であるということは、思春期頃から気付いていました。
しかし、その頃は私にとって、母は太陽のような偉大な存在だったので、母を否定することなく過ごしていました。
母と自分の関連を考えることになるのは、もっと後のことになります。
母は、言う言葉を文字にすると、大したものではありませんが、背後の雰囲気や前後のつながりや、継続して言うことを含めて考えると、大変な圧迫感を生んでいます。
そのことが、やはり私に大きな影響を及ぼしているのは、間違いないと思います。
それに気付いた私は、過去を振り返ることを始めました。
しかし、一見平和だった家庭を振り返り、否定することには苦痛を伴います。
思い出を汚している気持ちにさえ、なることがあります。
ですが、自分の苦しみの原因は何かを探るには、過去の事実をそのまま見つめる必要があり、やり遂げることが大事だと思います。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。