予想外の出来事にうろたえる私を弄ぶ母
私と妹がまだ幼いとき、母は片時も私達から離れませんでした。
母は少しでも目を離すと心配だと言っていましたし、過保護で心配性な性格上私達を置いて、どこかに行くことはできなかったでしょう。
しかし私が小学二年生のとき、母は私達に何も言わずに急に家から居なくなりました。
昼の二時ごろのことです。
普段は絶対ないような出来事だったので、私は凄く怖くなりました。
母はどこに行ったのだろう、行方不明になったのだろうか、私達を捨ててどこかへ行ってしまったのだろうか。
- 考えれば考えるほど不安になり、寂しく、悲しい気持ちになりましたが、どうすることもできませんでした。
私はもう泣きたい気持ちでした。
妹も家に居たので妹に相談し、私達は母を捜しに外に出ることにしました。
しかし外に出たはいいものの、どこを探せばいいかわかりません。
うろうろと知っている道を歩き、一キロくらい離れた駅まで行きました。
そして全く居る場所の見当がつかなかったので、すぐに家へ帰りました。
しれっと帰ってきた母
もう捜すのを諦めて待つしかない、そう思って一時間ほど待ちました。
すると四時ごろ、母はスーパーのビニール袋の音をさせながら帰ってきたのです。
私は心の底からほっとして、
と言いました。すると母は、
と、そっけなく返事したのです。
私は母が帰ってきてくれたからその時はそれでよかったのですが、心の底ではな(ぜ出る前に声をかけてくれなかったのか、やむを得ない事情があるのなら謝ってくれてもいいじゃないか)と思いました。
思い出せば思い出すほどおかしい出来事だった
心の底に引っかかる違和感。
普段は最大限私達に目配せする母が、この日は声もかけずに外に出て行き、長時間外で過ごした後に、何でも無いふうに帰ってきた。
理由が子育てに疲れてたまには一人になりたかった、とかならまだいいです。
でももしかすると、私に寂しい思いをさせて心配させようとしたのではないか。
あるいは私を怒らせて心の中で母に執着させ、その怒りの気持ちを罪と定めて、私を罰したのではないか。
現実、私の心には寂しさ、悲しさ、怒り、疑念、安堵などあらゆる気持ちがうずまきました。
いずれにせよ、私の心を奪ってコントロールするには、十分な出来事だったのです。
これだけの出来事を起こしておいて、そ知らぬ顔で日常に戻ろうとするのは、あまりに思慮が浅いとしか言いようがありません。
そんなことが日常だったのなら、私の気持ちは常に無視されっぱなしだったということになります。
心配性な母は、私の心の心配は何一つしなかったということが、よく伺えます。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。