毒親家庭の食卓
料理をするとき、普段と同じように調理をしているのに、なぜか違う味になるということがあるようです。
料理の味は味付けだけの問題ではない
この間のことですが、妻が何かにイライラしながら作った料理は、自分で食べてみてなぜかあまりおいしくなかったと言っていました。
ただ単にオクラをゆでただけなのに、いつもと味が違う。
味が薄いのかと、めんつゆを少し足してみたけど、そういう問題ではなかったそうです。
もしかすると、料理は作った人の心が、味に反映されるのかもしれませんね。
食事とはただひたすら食べる作業だった
私は子供の時、母の手料理がおいしいと感じたことは、あまりありませんでした。
飯マズとかそういうのではないのですが、ただ食を楽しむという感覚を持てないような、特に褒めるべき点のないものでした。
それは心がどうのこうのではなく、単に味付けに工夫が無かっただけだと思います。
毒親家庭に育つと、食事の時間が恐怖でしかなく、食べても味がしないといいます。
砂を噛むような味、という表現がされますが、落ち着いて食べるどころではないのでしょうね。
私の場合は、そこまで深刻ではありませんでしたが、味わうという行為をし始めたのは、十代の後半になってからだったと思います。
味オンチの一家
我が家の食事の特徴は、家族みんな味覚がおかしかったことです。
母は味が付いていない茹でなすびを、平気で美味しいと言って食べるし、父は野菜を嫌いだと言って食べず、カレーライスにソースをどぼどぼかけて食べていました。
私は好んで食べられそうなものがないので、レタスにソースをかけてひたすら食べていました。
ドレッシングなど家にはありません。
母は最初からリンゴが入っているバーモントカレーに、更にリンゴをすって更に入れるなど、おかしな行為をしていました。
多ければ多いほど、いいと思ったのでしょうか?(笑)
惣菜の方がマシ
母の料理はそういう感じだったので、私は買い食いや外食を好み、家での食事の時でも、母が惣菜を買ってくることを期待していました。
スーパーの惣菜は、当時の私にとってごちそうレベルの味でしたから。
カレーやラーメン、ハンバーグでも、お手製よりもインスタントの方が美味しかったのです。
だから私が『美味しいと』言う物は、いつもインスタント物になってしまい、母は気を悪くしていました。
ここまででおわかりかも知れませんが、我が家では食通が好みそうな食材は、一切出て
来ませんでした。
カレー、ハンバーグ、スパゲッティならばトマトソース、惣菜のコロッケなど、小学生が好きな定番ばかりです。
“美味しい”の基準は昔から持っていた
いえ、もしかしたら凝った食材も、あったかも知れません。
しかし、食べてまだ美味しいと思えるものは、先ほどの小学生レベルのものに留まり、煮魚やカボチャ、茄子など微妙な味加減が必要なものは、ことごとく私の口には合いませんでした。
これは私の味覚がおかしかったり幼稚だったのではなく、母が味オンチだったのだと思います。
なぜなら、大人になって調理法を変えたそれらを食べた私は、素直に美味しいと思ったからです。
大人になってから、随分色々な味を知り、世界が広がったような気がしています。
また、当時でも親戚の叔母が作ってくれた料理は、とても美味しく感じていました。
おばの料理は、とにかく見た目からきれいで、味付けも細やかに調節されていたのです。
私は叔母のような人が母だったらよかったのにと思っていました。
つまり美味しいものを美味しいと感じる舌は、持っていたわけです。
と、ここまでは母の料理が下手だったという話でした。
このことについては私は、特に母を責める気はありません。
母なりに一生懸命料理をしてくれていたからです。
ありがた迷惑の土産
本題はここからです。
私達夫婦は両親に会うたびに、チクッとくる嫌味を言われるので、最近はできるだけ疎遠にしていますが、それでも会う必要がある機会も出てきます。
ある時私達は、私の両親の家に行き、帰りに手作りパンをもらいました。
それは町内会で配るのに作った、余りの焼きそばパンでした。
私は正直、食事は食べたいものを、自分で用意したかったので、いらなかったのですが、親は私にそれを渡すために、大事にとっておいたようだったので、無下にもできず、私は仕方なくもらいました。
要るか要らないかも聞かれず、押し付けのように渡されたというのが、正直な気持ちです。
なので、早く片付けようと思い、家に帰ったらすぐに食べることにしました。
真冬の部屋の中、寒さを我慢しながらパンを取り出す。
焼きそばパンならどんなものでも、そこそこ美味しいだろうと口に入れましたが、あまりに不味くて、なかなか飲み込めませんでした。
味が全くしないわけではない。
ただ、何か味のバランスが凄く変で、食感の悪さも相まって、何を食べているんだか全くわからないのです。
それは恐怖のパンだった!?/h3>
妻も同じように感じているようでした。
これを配られた人たちは、食べきることができたのか?
クレームは出なかったのか?
そんなことを私は、『私が知っている焼きそばパンではない何か』を、食べながら思いました。
しかし、このように感じたのは、もしかしたら私達だけかも知れません。
毒を放ってくる親から手渡されたことにより、不快なメッセージが込められた食べ物に、変わったのかも知れないです。
オカルトめいた話になってしまいましたが、そうとでも思わなければ納得できないほど、変な味がしたパンでした。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。