大人になってから職場で、
一人からだけでなく、色々な人からこんな風に、言われるようになりました。
学生時代までは自分の好きなように振舞えて、気の合う人とだけ付き合えば良かったですから、私に面と向かって問題点を指摘する人など居ませんでした。
しかし、社会に出てから職場で自分が正当に評価されると、こうなるんだということがよくわかりました。
皆が言いたいことは何となくですが、主体性のある人間として、責任を持って行動しろということだろうなとわかっていました。
頭の奥底では、周囲と自分の違いは感じていたのです。
主体性を持つことは家庭のルールに反していた
しかし、自分にはそんな主体性など、持ちようがなかった現実がありました。
昔から親に言われるままに勉強させられ、それ以外のことは良くないこととして、刷り込まれてきました。
希望を持って生きるなど考えられないような、選択肢の無い人生でした。
気休めになることは、隠れてする遊びなど、人目につかないようなことばかりでした。
私が生き生きしてしたいことにチャレンジすることより、とにかく親の言うことに従うことが大事。
私が精神的な自由を獲得することは親への裏切りと、いわんばかりの雰囲気に満ちた家庭でした。
こうなったのは必然
勉強が心から楽しいと思ったことはほぼありません。
なぜなら強制されたから。
大人になって就職するのも義務だから。
面倒だけど言われたとおり働けばいいはずだと思っていました。
挙句の果てには、皆から疎まれることになりました。
職場で働くというのは、私が働いてあげているんだと思っていました。
自分からしたいことが何もなく、何事もさせられている感が満載でした。
超、上から目線でしたよ。
でも、大人になってからの行動は、本人に責任がありますが、幼少期の育てられ方は選択できません。
成人するまでの段階では、どんな大人になるかは、親によって決まると言っても過言ではないのです。
歪んだ親に育てられると、考え方や性格、感受性までが歪んでいきます。
憐れな子
私の親はとにかく医者や弁護士など、肩書きの偉い職業が好きでした。
それを子供にやらせようとしたのですが、子供の内面をきちんと見ずに親の要求だけ通していたら、子供は壊れていくに決まっています。
そして、子供が壊れてもそれに気付きません。
気付いていても、どうでもいいのかも知れません。
私がストレスで髪の毛を抜きすぎて禿げてきても、親より先に赤の他人がそれを指摘する始末でした。
こんな家庭で生きていると、生命を維持するため親の機嫌を損ねないように、顔色を伺うようになります。
そして親がどんなに理不尽なことを思っていても、それに応えようと努力するのです。
『親が不機嫌なのは自分が悪い子だからだ、もっといい子にならなければ!』と、健気に努力します。
今思えば本当に憐れな子でした。
毒親は罪作りな存在
自分のしたいことは置き去り。
いつでも神経を尖らせて生きるのに精一杯、そんな幼少期。
思春期を迎えるころには、真っ当な物事に価値を見出せなくなり、刹那的な楽しみしか愛せなくなっていました。
全てが面倒、大人になるころには、これが私の人生観になっていました。
毒親はこういう人間を育てるのです。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。