家をあげるからと言う事を聞かされていた馬鹿な私と嘘つきな毒親
昔から、
親の老後の面倒などと、親に従順な子になるための英才教育を受けたおかげで、親が無条件に偉いという世界観を持って育ちました。
私にハッパをかけるときは、
私が良くないことをした時は、
などと、家をダシにして私をコントロールするのでした。
それでも未成年のうちは、家を手に入れるなどということにはまだ興味がなかったので、『ハイハイ』と思っていました。
思えば心のやり取りも何もなく、富や財産だけが価値があるもので、それで人をひれ伏させることができると思っている下品な感性。
我が家はこんな価値観が、まかり通る独特の世界でした。
貧しさに対する防衛本能がすごい
時は流れ、親は定年退職し収入が激減したため私に、お金がないアピールをしょっちゅうする日々に。
(私は既に別居)65歳から年金25万ぐらいしかもらえないとか言っているんですが、何のつもりだったんでしょうか。
私は当時派遣工で年収200万だったのですが、私の援助を期待していた模様です。
さすがに私の収入を言ったら、黙りましたけどね。
退職金もたくさんもらっておいて、一体何の心配をしているのか。
年金に期待ができない世代としては、非常にうっとうしい思いでした。
あの頃の言葉は何だったのか
更に数年後、一等地にあった持ち家は、売られていたことがわかりました。
もう一軒ある家は、不動産に依頼して賃貸に出されていました。
分不相応な値段設定だったのですが、借りてくれた人はいました。
そして、その人が出て行ったら、何と微妙に値段を上げていました。
それから契約者は現れませんでした。イケると思って欲を出したんでしょうね…アホくさ
また、結婚して数年が過ぎていた私達夫婦は、賃貸ではなく持ち家を購入する計画を立てていました。
妻の結婚前からの貯金と妻の家からの少しの援助で、持ち金は購入額の半分には達しました。
そして残り半分はローンのつもりでしたが、借り入れは出来そうになかったので、私の親に利子プラスでの借金をお願いしました。
しかし、断られました。
生きるのに困らないお金を持っておきながら、息子夫婦が困っていても一銭も援助をしない。
貸しもしない。
その昔、家をくれると言っていたことは、とうの昔になかったことになっていたようです。
一時期その家を親から借りて住んだことがありましたが、完全に他人行儀でした。
わざわざ契約書を発行して、家賃を取るんですよ?
親の面倒も見ない奴には何もあげる必要は無いし、他人のようなものだということでしょうか。
本当に、自分が稼いだお金は自分の気の済むように使って、使い切ってから死のうという風に見えます。
子供の頃に聞かされた言葉は何だったのか、今では全てが幻です。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。