毒親からのパワハラ教育
『賢い子供』を育てることが第一目標の親・・・
子供をひたすら学業に精進させる親は、そのことで頭がいっぱいなのでしょうか。
子供の成績のみならず、そのことを近所の人にもアピールし、見栄をはることに意義があるようです。
子供の成績が良いだけでは不十分で、近所の人に知ってもらうところまでが、セットなのでしょう。
そうでないと、賢い子供を育てている親アピールができないですからね。
評価がよくても面白みのない成績表
小学生のときの話になりますが、私が通っている小学校の成績評価はよくできる、できる、もう少しがんばろうの3段階でつけられていました。
勉強面では【よくできる】がつくのが当たり前で、【できる】がつくことすら少なかったです。
そもそも小学校の成績評価は甘く、普通に学校の授業を受けていれば、そうそうひどい評価はつかないものです。
増してや親から勉強させられたり、塾に通っていたりしたら学校の勉強など、何の問題も無いものです。
塾に入る前からも毎日勉強をさせられていた私は、つけかたの甘い学校の成績に何の面白みも感じず、価値の無いようなものに感じていました。
そこで私はあることを親に言いました。
逆のことを言って注目を浴びたかった
小学3年生の頃、終業式が終わって家に成績評価が書かれている通知表を持って帰った時、母は外でお隣の人と話していました。
成績はいつも通り、【よくできる】がほとんどでした。
しかし通知表を家で見せたところで、特に褒められないことがわかっていた私は、面白みを求めて、逆のことを話しました。
などと何度も繰り返しました。すると母は、
とその場ではにこやかに答え、しばらくお隣さんと話していました。
その後家で通知表を見た時、私の報告と違う内容を目にした母は、開口一番こう言い放ちました。
その顔は鬼の形相でした。
ちょっといたずらをして面白がらせてやろうという気持ちだった私は、びっくりしてしまい、今でもこのことはよく覚えています。
大体親もそんなに重視していないような通知表で、内容もほぼ予想がついているだろうと思う中で、私はエイプリルフールのような感覚で冗談を言ったのであり、嘘をついた感覚ではありませんでした。
この勉強に関して息苦しい家庭に、笑いをもたらしたかっただけでした。
しかし、毒親にとってはその程度のことも、許せなかったということでしょう。
余談ですが、私は勉強面の評価はよくても、生活面の評価は散々たるものでした。
協調性や、日常行動の項目では、3段階の中で一番下の評価も多くありました。
私はなぜこういう評価になるのだろうと、疑問に思っていました。
しかし、母にとっては勉強さえできれば、他はどうでもいいようで、そのことは問題にしませんでした。
今の私からしたら、生活面の方をしつけてほしかったと思います。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。