他人との勝ち負けに拘る人生を卒業しよう 大切なのは自己肯定感

何に対して勝ちたいの?

家庭内では家族間での力関係に神経質になり、外でもできるだけ自分が他人より勝っているところを探し、隙があれば他人をこき下ろす。

幼い頃から人間性を見ずに雑に育てられてきた子どもは自己肯定感が全く育たず、他人との関係性が自分の価値のようになってこんな困った人間になるんですね。

勝ち負けを競っているわけではないのに「勝った!」とか「負けた!」などと言う人っているでしょう?

それに対して周りの人は「勝ち負けの問題じゃないだろう」と言うのですが。

 

実はこれは私の話で、勝ち負けでしか物事を見ていないから勝負ごとでなくても勝ち負けの基準を自分の中に作ってしまうんですね。

こういう感覚で接された人は恐らく嫌な気持ちになるんでしょう。

私は幾度と無く勝ち負けは関係ないことを指摘されてきました。

 

「勝ち負け」は架空の出来事

実際のところ「勝とう」が、「負けよう」がそれは自分の中の出来事なだけであって、実際には何も起こっていないんですよね。

自己満足の勝ち負けを繰り返し、そして人としてのまともな成長はしない。

自分と他人を不必要に比べてもいつまでも人生が空回りするだけだということにいつかは気付く必要があるでしょう。

自分が自分のことをどう思うか、自分は何をしたいかは本来自分一人で完結できることです。

他人を通してしか自分を見ることができないのは困りものです。

 

生き抜くために一定の基準を満たす必要があった時期の名残

子供時代など自分の力だけではどうにもならないことが多い時期は、周りの環境によっては生き抜くためには自己防衛をしないといけないこともあります。

子供は基本的に物事を拒めないのでなおさらです。

 

親が、いい子にしていないと子供だと認めない親だったらどうでしょうか?

周囲との競争に晒され、伸び伸びと過ごすことやありのままの自分で居ることが許されない環境だったらどうでしょうか?

 

子供はきっと息苦しさを感じ、どんな方法でもいいから自分が楽になる方法を探すはずです。

生きるために安心できる根拠を探すのです。

クラス内では自分より下に位置する生徒を見つけては安心し、家庭では兄弟を出し抜こうと頑張り、自分が上に立つためには時としてズルまでします。

そうまでしないと生きていけない、大人顔負けの環境で生きてきたのです。

 

私の少年時代の人生観は、例えるなら「私と競争相手が崖の下に突き落とされて、這い上がれるのは一人だけ」にされたような状態でしょうか。

わざとパイを一つにされ、競争相手と奪い合うしか無かったのです。

他人を思いやることなど甘ったれの自殺行為だと思ってきました。

人と比べない生き方をする

そんな幼い頃の処世術的なものであった考え方も、大人になると通用しません。

それもそのはず、成熟というものの対極にある価値観ですから、ことあるごとに人とぶつかり合いますし、好意を持ってくれる人はいません。

そして自分に自信は持てないままになってしまいます。

 

結局は人と比べない生き方を目指すのがよいということになります。

人と比べないというのは、自分が主体になって生きるということです。

自分のことを素直に受け入れて生きるためには、他人に対していちいち

・怒らない
・嫉妬しない
・批判しない
・気にしない
・自分の行動選択の基準にしない

などのことが必要でしょう。

それと並行して自分自身で行うことは、

・最大限の努力をして自分を高める
・時間を有効利用する
・自己卑下しない
・貪欲に幸せを追求する
・したいことを無意味に我慢しない
・人に対してオープンになる

など、前向きに生きていけるような努力をするといいでしょう。
腐ったように生きていても幸せに生きていても、時間は誰に対しても平等でどんどん過ぎていきます。
腐った人間でいる義務は誰にも無いので、なりたい人間になりましょう。
もしあなたの不幸を密かに祈る人間が居るのなら、速やかにそういう人からは離れましょう。
あなたの人生をつくっていくことができるのはあなただけです。
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