『不登校ガール 学校の階段がのぼれない』
『不登校ガール 学校の階段がのぼれない』(以下では、不登校ガール)の感想を主とする記事です。
この記事には漫画のネタバレが存在します。まだ読んでいない方はご注意ください。
何かのきっかけで学校に行けなくなる、不登校の問題。
不登校になる理由って様々ですよね。
家庭に問題がありすぎて家から出られない子、いじめに遭って学校に行けなくなる子など色んなケースがありますが、『不登校ガール』の場合はまた違ったパターンです。
『不登校ガール』の主人公のちひろは、学校で周囲とのコミュニケーションで息が詰まって、居心地が悪くて学校に行けなくなったタイプです。
決してコミュニケーションがとれない子ではなく、むしろ人のことを気遣いすぎてしまうあまりに、周囲にその性格を利用されてしまうんですね。
転校や進学などによって環境が変わった時に、クラスメイトなど全体の雰囲気が良くない場合、お人好しな性格の人は傷つけられがちです。
そう、人は誰でも環境によっては、上手くいかなくなってしまう可能性があるのです。
不登校ガールはここで読める!
『不登校ガール 学校の階段がのぼれない』(作者:園山千尋)は、Vコミで掲載されています。毎週日曜に更新されるとのことです。
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『不登校ガール』の感想
転校と生存環境
それまで馴染んでいた環境が急に変わる時。
転校がその最たるものでしょう。
何せ、親の都合だけで住む場所から周りの人間関係まで、全てが変わってしまうのですから。
実は僕も転校を2度経験していますが、行った先によって当たり外れがあることを経験しました。
というのは、人に対して寛容な集団と、そうでなくギスギスした集団があるのですね。
一人ひとりが悪くなくても、集団を形成した時に息苦しさが発生してしまうのです。
小中学生の間って、自分がいる環境が全てだから、そこが地獄ならば本当に生きられたものじゃないですよ。
相性の悪い人がいても、自分の味方になってくれるような友人に助けられたりして、何とかやっていけるんです。
それが、敵対する関係の中に放り込まれて、板挟みにあってしまうのですから、身を引き裂かれるような思いをするはずです。
しかも、家庭内にも問題を抱えている人がいるのですから、それでも自分が頑張らなければとなってしまうのです。
不良は息苦しさから解放してくれる存在
学校では、不良よりも学校で中心的なグループの方が、閉塞感に満ちた人間関係を作っていたりします。
不良は我慢をしてまで、まともな生活をしようとしないですから、お互いの心を監視し合うような陰湿なことはあまりしないんですね。
問題行動を起こしたり、人にもそういう行動を求めたりするような別の問題はありますが。
最初からおかしいからこそ、あっけらかんとしていられるのです。
ちひろのような、もはや日常生活のどこにも穏やかで居られる場所が無くなった子にとっては、不良の世界が突破口のように思えても不思議ではありません。
本当に心が疲れ切ってSOSを出せる相手がいない場合、死に物狂いで活路を求めることでしょう。
そんなときには良くないことだとわかっていても、不良の世界のほうが、自分にしっくりくるようになってしまうこともあります。
僕のことになりますが大学受験が近づいてきて、家では勉強しか評価しない親がいて、学校は進学校のため、勉強以外のことが入り込む余地が少なかった僕は、学校に行く意味を感じなくなってしまいました。
勉強に対しては中学受験を終えた時点で、燃え尽きていました。
それで私服を持ち歩いて、学校に行かずに街で遊んでいたんですよ。
街で一人で遊んでいたら、昼間っからブラブラしている兄ちゃんや、家出少年なんかが声をかけてきて、すぐに仲良くなりました。
彼らはすごく人当たりがいいのに、良くない仕事をやっていたり、堂々と悪事を働いたりするんですよ。
でも、僕はそれを見ているのが心地よかった。
自分の居場所なんて、どこにもなかった僕ですが、恐らく彼らもそうだったでしょう。
しょうもないことではしゃいでいる時が、一番自分らしく感じられたんです。
主人公のちひろも、不良に対して『良くない人』と、レッテルをはらないのは僕と同じです。
彼女のような警戒心のない人は、普通に見えても案外不良からはとっつきやすかったりするんですよね。
なんて、昔のことを思い出してしまいました。
みんな生き残るのに必死
不登校になってしまったちひろですが、『不登校ガール』には、ちひろにとって決定的に悪と言える人物は登場しません。
冒頭でも触れられていますが、ちひろも悪くないですし、他の誰も悪くないのでしょう。
人間関係の結果、ちひろが泣きをみる結果になったことは確かですが。
というのは、登場人物の陰湿に見える言動、行動は全て自分の日常生活が少しでもよくなるようにと願った結果のものであり、ちひろを貶める意図がそこにはないのです。
中心的存在のマキも敵が多い中で、自分の地位を維持するために苦労しているでしょう。
マキにいじられている子も自分の心を保ったり、立場を向上させるためには、きれい事だけでは済ませられないでしょう。
不良の子にも言い分はあるはずです。
つまり、ちひろは彼女を取り巻く三者三様の思いに、巻き込まれてしまったのです。
ちひろの境遇はかわいそうではありますが、だからと言って誰かを罰することで済ませたりはできないものです。
人間関係って本当に難しいですよね。
身体症状が出た時には、心はかなり蝕まれている
不意に涙がでてきたり、吐き気がしたり、息苦しくなったりするなんて、よほど辛い日常を過ごしているということですよ。
まるで感情という水がコップにいっぱい溜まって、少しのことで溢れそうになっている状況です。
自分で何とかしようと思っても、もうその状況は赤信号なんですよね。
心に蓋をして感じないようにしようが、所詮人間は理性では生きられないのです。
見えなくとも、出来事はしっかり心に刻んでいっているんですよね。
そのような身体症状が出ても無理をすると、さらに悪化するだけなのです。
足が動かなくなったのは、身体からの渾身のSOSだったと言えるでしょう!
不登校ガール『空白の5ヵ月』を読んだ感想
久々に友人に会うのは、何だか緊張するものですね。
どれだけ親友でも、久々に会って変わってたらどうしようと思ったり、自分がどう見られるかということを気にしてしまったりする経験が私にはあります。
昔と変わらずで一応ホッとするのですが、でもやっぱり昔のアイツとちょっと違うとも思ったりで、親友相手に心が揺れている自分が、少し嫌になったりもしましたね。
でも再会している間は少しだけ時が昔に戻ったみたいで、何だか懐かしいような気分になれます。
何せ、楽しいときを長く一緒に過ごしてきた相手ですからね!
親友との再会は、きっとちひろにとって良いリフレッシュになることでしょう。
不登校ガール『なんとかなってない』『邪魔者でした?』を読んだ感想
何と言うか、読んでいて居たたまれない気持ちになりました。
もしこのシチュエーションで自分がちひろの立場だったら…
友人に対して取り繕わねばという気持ちと、現実は不登校であることで、複雑な心境になってしまうことでしょう。
古くからの友人には充実していると伝えなければ、彼女達を心配させてしまうことにもなりますし。
みんなが泣いているときに泣かずに、一番泣いたらおかしい場面で泣いてしまうのは本当にタイミングが悪いですね。
しかしそれはちひろが置かれている現状を表していて、タイトル通り『なんとかなってない』のですね。
それにしても、ちひろの旧友は良い人たちですね。
転校しなければ、ちひろは変わらず明るく過ごせたのではないかと思ってしまいますが、そういう『もし』は禁句ですね。
私も転校しなければ…と何度も思いましたが、新しい環境の中で時を過ごさねばならないので、後ろを振り返ってばかりもいられないのです。
楽しかった思い出だけを胸に、築いた関係などは全て置いていかなければならないのですから。
そんな中で、もう会うことはなかったであろう二人が偶然に出会うことで、何かが動くのでしょうか。
『不登校ガール』の結末はどうなる?
『不登校ガール』は、主人公の名前と作者の名前が同じなんですよね。(主人公はちひろ、作者は園山千尋さん)
ということは、本作は作者の体験談である可能性が極めて高いでしょう。
もしちひろ=作者なら現在はお元気に過ごしていることを信じたいですね!
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。