今回の文章は深い知識があって書いているわけではありません。
しかしながら、30代半ばの既婚子無し男がこの歳になってみてはじめてわかった気持ちなどを正直に書いていきますので、これが私にとっての真実です。
はっきり言って被害妄想も入っていますし、主観で語りまくりです。
さて、テーマですが、子供を持たない、作らない人は社会においてどういう位置づけにあるのかということについてです。
「非生産的」というやや煽りのような言葉を用いましたが、実際に子無しはこのような目で見られているのではないかと私は感じています。
子供を育てて一人前という価値観
恋愛に関して言うと、学生の時は付き合っている人がいるか、二十代のときは結婚しているか、そして三十代は子供と幸せに暮らしているか?を常に人から見られています。
年代に合わせてくっついてくる、この異性と上手くやって充実した人生過ごしているか?感、はっきり言ってもううんざりです。
何なのでしょうか、そんなに人が異性と宜しくやってるか気になるのでしょうか?
この、義務のように子供をのこすことが人生の目的だみたいた同調圧力、そこから外れると悲しい奴のような空気が蔓延しているのが私は気に入りません。
そんなの人それぞれ事情があるし、望まない人だってたくさんいるっつーの。
はっきり言って未婚、子無しは大っぴらに人生を語ることを許されない空気すらありますよね。
お一人様人生プラン、子無し夫婦のライフスタイルなどもっと公に認められる存在であるべきです。
今のところだと半端者もしくは気ままに生きる人扱いがせいぜいで、社会の真ん中では生きられないです。
そんな肩身の狭い思いをして生きていかなければならないのは間違っていますよ。
DINKSやお一人様という言葉はあり、認知されていますが子有り夫婦とはやはり違う目で見られます。
私は、これでも「充実」しているのですよ。
子供がいないからかわいそうだとか、子供はまだか?などと思われる筋合いは無いのです。
安易に子供をつくると親も子も大変
自分が生まれてきて人生を楽しんでいる以上、生まれてくる子供がかわいそうだと言い切れる確信は無いのですが、それでも今の日本の環境は子供にとって条件が良くないです。
保育園の待機児童問題、遊ぶ場所が無い問題、しっかり進学しても将来が厳しい問題、経済力が乏しい問題、子育てで親を頼れない問題など現代ならではの問題が山積みです。
私が昔でなく今産まれたかったかというと絶対にNOです。
子供の声が騒音だとか、南青山に児童相談所を作るなだとか、電車の中のベビーカーが邪魔だとか、泣き声がうるさいとか、他人の子に注意するなとか…
子供がもしこれらの意見の意味を理解できてしまったら罪悪感で気が狂ってしまうんじゃないでしょうか。
こんなに子供や子育てする人に冷たい社会なんて、有り得ないですよ。
子育てに金がかかりすぎるのもおかしい。
私は現代で子育てをするには最低年収500万は必要だと思うのですが、そんな収入を得られる若手はごく少数でしょう。
共働きが当たり前なのにはこういう背景もあると思います。
でも、共働きなんてしてたら育児は満足にできないですからね(私の感覚では)。
こんなギリギリの状況で子育てをしようなどとは私にはとても思えないのです。
私は中学受験の塾で働いているからよくわかる。
生徒の家は例外なく高収入です。
10万ぐらいの月謝でも平気で払うし、彼らの弁当を見てもうなぎやら高級牛肉やら私が普段口にしないものばかりです。
下手したら彼らにかかる教育費より私の収入の方が低いのではないかと思っています。
もし私が子供を持ったらどうなることか…
生まれてきたときから境遇に差があることを痛感します。
生産的、ってなんなん?
結局子持ち至上主義の考え方は、「子供を産む=つくることだから生産的」、こんな安直な考えでしかないのではないでしょうか。
しかしこの日本、人口減少が示しているように正常な繁殖が行われていない状況です。
この問題を解決するのなら、子供を増やすことに躍起になるよりなぜそうなったのかを一人一人が考えていくことが大事なのでは?
子供をつくったから、はい、上がり!というのはおかしいでしょう。
それより私は産まれてきて成すべきことをこの世に問うことのほうが遥かに生産的だと思うのですが。
非生産的、だなんて単なる子無しへの差別でしかないですよね。
もっともらしくそう言って勝ち誇りたいだけなんだから。
違うんなら反論してみてほしい。