嘔吐恐怖症を考える
嘔吐恐怖症の人の嘔吐に対する感情
嘔吐に関する全てが怖いんです
私がこれまで精神的に一番悩んできたことは、嘔吐恐怖症だと思います。
そしてこれからも、完全な克服など望めないと思っています。
私の嘔吐ヘの恐怖はそれほど根深く、私の心の底から湧き上がる思いなのです。
そう、嘔吐という字を見るのすら嫌(書くのはもっと嫌)なのは嘔吐恐怖症あるあるとも言えるのではないでしょうか。
吐くことを乗り越えられなかった
私は物心ついた頃から、吐くという行為と向き合うことができずに、風邪のときでも我慢に我慢を重ねた結果、その場で吐くという行為しかしてこなかったせいで、嘔吐をコントロールするという経験がありません。
また、小学校低学年の時に吐いたのを最後に、30年近く吐き気を根性で我慢してきたぐらい吐くのが嫌で、どんなことがあろうとも吐くのは我慢します。
恐らくノロウイルスにかかっても我慢すると思います(実際そういう人も居るらしい)。
吐くぐらいなら死ぬほうがいいなどと、言っていた時期もありました。
小さい頃から『ゲロ吐くのが嫌だ』と言うと、色んな人から『そんなの誰だって嫌に決まってる』とよく返されました。
そりゃそうかも知れないけど、彼らは風邪や病気になったときはちゃんと吐くのです。
『だって吐いたらすっきりするよ』と彼らは嘔吐することを辞さないです。
私からしたら、嫌々でも吐ける人は私にとっての下痢などと同じくらいの軽い感覚で、嘔吐を捉えているように思えます。
自分から吐きにトイレに行ける人は、私からすれば勇者です。
私などはおそらくノロウイルスにかかっても、命がけで我慢することでしょう。
もし吐くことがあるとすれば…毒キノコなどを誤って食べてしまって勝手に胃から逆流してしまう場合でしょうか。
こんなに吐くのが嫌なのはなぜか…いくつかきっかけのようなものが思い当たります。
嘔吐恐怖症の考えられる原因
原因1.幼い頃から排泄することに対する嫌悪感があった
私が幼児期のことで覚えているのが、嘔吐と同じように大便を出したがらないことでした。
幼稚園に入園する前くらいの頃、私は大便を出すことにも気持ち悪さを感じていたのです。
母親がおまるに出すよう言っても、私はそれを拒み、畳の上に出してしまっていたのでした。
親のトイレのしつけに問題があったかどうか定かではありませんが、私は物心ついた頃から排泄に対して特別な意識がありました。
嘔吐も最後に吐いたのは小3のときですが、覚えている限り所定の位置に吐いたことがありません。
食卓の上、風呂場、布団の上など吐きそうでも我慢した上で吐くか、気がついたら吐いているかのどちらかでした。
いつ、どのようにして吐いたのかは、昔のことなのに今でも鮮明に思い出せます。
原因2.家族が吐くのを見て嫌な思いをした
私の妹は風邪をひくたびに、よく吐いていました。
また、何でも無い時でも気分が悪くなり吐くことがよくありました。
私はその度に震え上がり、その場から逃げて耳を塞いでいました。(えずく声がもうだめ)
よく覚えているのが私が小学校低学年のとき、家族でタクシーに乗っていると、突然妹が話している途中に戻したのです。
その後のことはよく覚えていませんが、あの時の光景は今でも鮮明に思い出せます。
それはきっと私の心の傷になっているのだろうと思います。
自分が吐かないのは当然でも周りは吐く
嘔吐恐怖症の複数のタイプ
私は人が吐くのを見たり聞いたりするのも、自分が吐くこともできないです。
でも世の中には自分は吐けないけれど、人が吐くのは平気だという人が居れば、反対に自分が吐くことはできるが、人が吐くのはダメだという人も居ます。
私からすれば自分が吐けるなら、他人のも大丈夫だろうと思ってしまうのですが、恐怖症とはそういうものではないのでしょう。
もっとも私自身も道に落ちている吐瀉物は割と平気だったりするので、個人差がかなり大きいのでしょう。
ちなみに、私は吐瀉物という表現は苦手です。
嘔吐という字もそうですが、字面がもう気持ち悪く感じるのは、意味を知っているからそう感じるのでしょうね。
他人が吐いても動揺しないようになりたい
嘔吐恐怖症の人の多くは自分が吐くことと同じくらい、他人が嘔吐することにも恐怖を感じます。
(厳密には一方はよくて、もう一方はダメなど、複数のタイプが存在します)
本当の意味で日常を安定させるには、他人の嘔吐に対する耐性をつけることが好ましいです。
というのは、耐性が無いと深夜の電車や(酔っ払いがいるから)、飲み屋や、病院、子供が集まる場所(子供は大人と比べて前触れ無く吐くから)で、落ち着いていることができません。
これらの場所で挙動不審になっていては、周りの人にも訝しがられてしまうでしょう。
また、子供を持つと嘔吐の処理は、必ずする機会があるはずです。
酔っ払いの介抱をすることもあるかも知れませんね。
そんなときに逃げ出すようでは、周りから一人前の大人とは見てくれないのではないでしょうか。
実際どうかわかりませんが、少なくとも私はそのように考え、気に病んでいました。
嘔吐恐怖症による弊害
恐怖症とはこのように、他人から見たら理解し難いものです。
ですが、本人にとっては生きるか死ぬか、というくらい真剣な問題です。
嘔吐恐怖症の本当に怖いところは、吐けない、嘔吐を見られないということを越えたところにあります。
それは、自分が吐いてしまうのではないかと恐れるあまり、食事ができなくなったり(特に会食)、電車に乗れなくなったり、時間的に拘束されることをできなくなったりすることです。
私は自分がいつ吐くかわからないので、ご飯が食べられなくなってしまいました。
また、万一吐きそうになった時に、全力で我慢する体制に入れないという理由で乗り物などの密室や、授業・テストなどの途中で抜けられない部屋にいることに、過度の緊張をするようになりました。
遠方にも行けなくなりました。
緊張するうちに自分が恐れている吐き気を実際に感じ始めて(自分から恐れていることを実現している?)、それに耐える日々になりました。
このように嘔吐恐怖症は深刻な問題になって生活を蝕んだり、更には実際に吐き気となって体を襲ってきます。
それは完全にメンタルの問題なのですが、一度そうなってしまうと慢性的な体調不良に悩まされます。
そうなると、一度メンタルクリニックに行ったほうが良いかもしれません。
嘔吐恐怖症の克服に向けて
動物の嘔吐に慣れるところから始めてみる
私は猫を飼っているのですが、猫はよく嘔吐します。
猫の嘔吐は人間のそれとは違い、毛玉を吐き出す役目もあるので、体調不良などではなく日常の行動の一つです。
猫が吐く時は、大きな音を出す前触れがあります。
そして勢い良く吐きます。
私は最初は猫が吐いたものを片付けるどころか、見るのも嫌だったのですが、あまりにしょっちゅう吐くので慣れてしまいました。
吐いたものが単色だからあまり抵抗がないというのもあります。
とにかく猫を通して嘔吐に少しは耐性がついたのではないかと思います。
ですので、他人の嘔吐が怖くて悩んでいる方は、猫や犬などペットを飼ってみられてはいかがでしょうか。
ポップな感覚で嘔吐を捉えている人に混じってみる
最近Youtubeで検索をしていると、ユーチューバーが嘔吐をしようとする動画が複数見つかりました。
まず、嘔吐恐怖症を克服しようと、吐き気がしそうな食べ物を食べている人がいました。
そんなことに笑いながらチャレンジできる時点で、半分恐怖症を卒業できているのではないかと私は思います。
また、早ゲロ対決みたいなのをしている若者もいました。
私は決死の覚悟を決めてその動画を見ましたが、わざと吐こうと牛乳を飲み、本当に吐いていました。
吐いているときは苦しそうなんだけど、そこには嘔吐に対する不健康なイメージはなく、むしろ何かのスポーツに見えたんですね。
何か、もうここまで来ると気持ち悪いという感覚を超えて、清清しい気持ちで見ることができました。
専門の病院にかかってみる
ネット検索をしていたら嘔吐恐怖症の治療をしてくれる病院を見つけました。
心療内科・神経科赤坂クリニックの、診療についてご案内しているページです。医療法人和楽会は、パニック症(パニック障害)・非…
日頃人には話せない悩みに対して、何と痒いところに手が届くサービスでしょうか。
しかし、音を聞く、映像を見る、嘔吐物を片付けるなど嘔吐恐怖症の人には、なかなかきつい課題をクリアする必要があります。
確実に克服できそうですが、申し込むには勇気が必要ですね。

教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。