アダルトチルドレンの特徴
他人とビジネスライクな関係は作ることができても、人間性を絡めた交流をしようとすると、対等な関係が作れなくなってしまうってことありませんか?
言い方が難しいのですが、他人との距離が測れないというか、フラットな感覚で人と接することが難しく、一方がもう一方に従属している関係を作ろうとしてしまうという感じなのです。
私は多くの人が居る前では、他人に合わせて適切な振る舞いができます。
でも一対一になると、急に距離を詰めて相手を振り回すようなことを言ったり、もしくは不必要に相手を崇めてしまったりするんです。
あなたの周りに、何か二人っきりになりたくないなぁという人が居たら、恐らく相手はそういう種類の人だと思います。
私はこういう良くないコミュニケーションをとることは、卒業できたと思っていたのですが、この間私の人間性が原因で、仕事で大きな失敗をしてしまったので、反省して振り返っています。
愛を得るためなら何でもする愛情飢餓
普通、人って自分にとって価値があるか無いか、リスクがあるか無いかなどを判断し、メリットとデメリットの両方を天秤にかけて、行動すると思うんです。
価値があることでも、それをするために大きなリスクが伴うのでは、普通やらないですよね。
しかしその辺の感覚が壊れているのが、誰かに気に入られるためにその他の事情を無視してしまうような人です。
見捨てられ不安がある私のような人は、文字通り人に見捨てられないように必死なのです。
誰かを喜ばせるためなら何でもします。
人を満足させることを考えている間は、規範意識が薄くなり、見境が無くなります。
結果、普段ならやってはいけないとわかっているようなことでも、盲目になってしまったことによって実行してしまいます。
そこまでして人に尽くしても、そうしない場合と比べて殆ど結果に差が出ないはずなのに、ついやっちゃうんですよね。
まるで誰かの役に立たなければ生きていてはいけないと、思い込んでいるようではありませんか。
これって機能不全家族で育っている時の風景と全く一緒なんですよね。
居場所を得るために頑張らなければいけなかった幼少期
母の愛を得ようと必死だった幼少期。
私が人から好かれるためには、人の倍努力しないといけないと学んでしまった過去。
誰かから1のものをもらうには、2も3もこちらから差し出さなければならないという価値観になってしまいました。
嘆願するように人に愛してくれるようお願いする私は、人の目から見てずいぶん奇異に映っているでしょう。
対等な関係というものが、もはや信じられなくなってしまったんです。
でも、見境無く人に色んなものを差し出す私は、感謝されるどころか非難されるべき人のようです。
きちんとした理由が無いのに、ギブアンドテイクのギブの部分にだけ力を入れる人は、組織人としては上手くやっていけないんです。
マニュアルがあってもそれに従うことができず、焦れば焦るほど逸脱した奉仕の精神で動いてしまっていて、しっかりしろよと後から自責の念が沸いてきます。
自己のコントロールが思ったより全然出来ていなかったので、自分に幻滅している数日間です。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。