ギャンブラーズアノニマスとは
実話に基づく体験談。
※この記事は体験者本人の手記をもとに管理人が作成して了承を得たものです。
パチンコ屋の開店時刻になると体が勝手に動く
パチンコに行く前日は興奮で夜もろくに眠れず、パチンコ屋の開店時刻になると、やっとこの時が来たとばかりに家を出る。
本当はそんなに楽しみにするほどのものじゃないことはわかっている。
だけど時間が来たら、体が勝手に動いてしまう。
借金のことは頭から外して、その日をどうパチンコでエンジョイするかで頭がいっぱい。
パチンコマンって悲しいよね。
負けるとわかってても、やめられないんだから。
負けて店を出た時には、睡眠不足も相まって体はフラフラ。
ようやく家にたどり着くと、自然とフワッと力が抜けて、数時間眠り込んでしまう。
この泥のように眠る時がまた孤独なんだ。
自分を取り巻く全てに背を向けて、自分の世界に閉じこもるようで、起きた時の悲壮感がまたやばい。
ギャンブル依存症は進行性の病だ。
行為を反省するだけでは事態は変わらない――
ギャンブラーズアノニマスってこんなところ
僕は過去に自助グループで有名な、ギャンブラーズアノニマスに通っていた時期があります。
その経験を通じて、ギャンブラーズアノニマスがどんなところだったかをお話したいと思います。
アノニマスとは匿名という意味で、参加者は本名を伏せてニックネームで呼ばれていました。
初回はまず、資料とキーホルダーのような記念品がもらえます。
会場に行くとまず運営費を徴収していました。
運営費と言っても、100円でした。
それをコピー代などに使うのでしょう。
参加者の数は場所によって違うと思いますが、僕が通っていたところは週一回開催で毎回15名くらい居ました。
参加者の年齢層はバラバラ、女性は居なくて男性だけでした。
ギャンブラーズアノニマスは、ギャンブルをやめるための場所ではありますが、現在進行形でやめていないといけないわけではありません。
なかなかやめられないという人も居れば、やめていたのにスリップ(失敗)してしまったと話す人も居ます。
中には会場に来るその前まで、パチンコをしていたという人も居ました。
皆には言えませんでしたが、実は僕もそうでした。
ギャンブル依存症は、回復しない病気であることを受け入れて、治療するのではなく、ギャンブルそのものから離れるというのが、ギャンブラーズアノニマスの姿勢です。
そして強迫的ギャンブラーは、一人ではギャンブルをやめられないので、匿名の者同士で境遇を話し合って共有するのです。
ミーティングか開始すると、一人一人順番にギャンブルに関わる話をします。
何を話しても構いません。
また、聞く側は何も意見せずただ黙って聞きます。
様々な人がいました。
ギャンブルで人格がおかしくなっていったと話す人や、大借金を抱えて離婚寸前の人など。
会場では落ち着いて話していますが、波乱の道を歩んできたことが伺えます。
具体的なギャンブルの話はご法度なのが暗黙の了解でした。
リアルにギャンブルを思い出させてはいけないと、皆わかっているのでしょう。
ちなみに僕はギャンブラーズアノニマスには数回通った後、就職を理由に行かなくなりました。
効果があったのかは不明です。
GAのおかげで今はギャンブルをやめられている
日曜の午前中にやっているGAは混んでいるかと思いきや、そうでもありませんね。
私としてはパチンコ屋に行くのを防いでくれるので、ベストな曜日・時間だと思っています。
わざわざ電車で通っていますが、それだけする価値はあります。
なぜなら朝十時にいったんパチンコ屋に入ってしまうと、一日が潰れますからね。
GAに行くのは昼からの時間を有効に使うための儀式だと思えば、有意義なものです。
GAのパワー VS パチンコ欲求
正直、GAに向かう道中にはパチンコ屋が何軒もあって、あるところでは行きつけだった店に、相変わらず常連が開店待ちしているのを見たりして、心が折れそうになりました。
でもGAに行かずに家に居るというのなら、きっと耐えられなくなって、またパチンコ屋に行ってしまうでしょう。
それか、前日の夜から決意が揺らいでしまい、パチンコモードになってしまうかですね。
GAには自分と同じ病的ギャンブラーが沢山居るので、同類がたくさんいるという意識が、ギャンブルをしようという思いを鎮めてくれます。
GAの仲間のことは他言無用なので詳しくは書けませんが、相当の病気だと思っていた私と同じような感じの人が居るので、他人事だとは思えずに、やはりパチンコ屋通いは止めるべきなのだと感じることができました。
ギャンブルやめるなら、通い続けなきゃいけない
しかし、GAに通うのを止めてしまうと一気にパチンコ屋通いが再発してしまうでしょうね。
ギャンブル依存症という病気の根治は有り得ないということはこれまでに強く感じてきましたし、これからもそうでしょう。
いつかきっとギャンブルをコントロールできる日が来ると信じてずっと生きてきましたが、それは叶わぬ夢だったという結論を出すしか無いようです。
それはGAでも語られているように、ギャンブルへの依存はひどくなることはあっても良くなることは決して無かったのですからね。
まとめ:強迫的ギャンブラーにとってのギャンブルとは
ギャンブルというのは、本当に金額の問題では無いんですね。
ギャンブルを通して脳内麻薬を出すというのであれば、お金を賭けているかいないかは、ほとんど関係が無いと思います。
ギャンブラーはその都度興奮によって、満足を得ています。
それこそお金にならないのに、ゲームセンターのメダルゲームで一万枚メダルを出したとか、そういうことにまで興奮してしまうのが、本物のギャンブル依存症です。
ギャンブラーが実際に賭けている物はなんでしょうか?
それはお金ではなく、自信の未来なのではないでしょうか?
勝ちの定義がお金を沢山手に入れることで、ある内はまだギャンブル依存症予備軍であるように思えます。
重度のギャンブル依存症の人は、いくら勝つなどというよりも、その場でいかにジェットコースターに乗るような、スリリングな経験をするかというミッションを、己に課しているように思えます。
わざわざ危険なことに手を出さなくていいのに、そうして危険な賭けをしないと自分は救われないと思い込み、それはギャンブルをすることによって、人生との適切な向き合い方を模索しようとしているようにも見えます。
これはギャンブル依存症の人は、元来真面目な人が多いということを象徴している現象だと思います。
真面目なので愚直なまでに己の人生と向き合おうとするが、もはやその方法が狂ったものになってしまっているのです。
その狂った方法をやめるためには、自力で何とかしようとするより、ギャンブラーズアノニマスの助けを借りるほうが効果的なのです。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。