みんなのお葬式体験談
葬儀で故人や遺族の為に持参するお香典やお供物。
お金・果物・お線香・お菓子・お酒等故人に縁のあるものなど様々ですが、時には度肝を抜くようなお供え物があるようです。
数十年前に葬儀関連のアルバイトをしていた方から、そんな仰天のお供え物についての投稿をいただきました。
とんでもない会葬者の話
私が学生時代に葬儀会館でアルバイトをしてた数十年前、当時は一般人の葬儀でも今よりもはるかに規模が大きく、参列者も結構な数がいた。
私はアルバイトとして参列者や車両の誘導を主に行なっていたが、シフトの関係で穴が空いてる時は葬儀の進行を任せられてもいた。
なかなかチャレンジングな時代だが、参列する人間も負けてはおらず、当時の葬儀会館あるあるとしては、葬儀場を間違えて焼香をあげていたり、大きな葬儀ゆえに、遺族親族が参列者全員を把握することは難しいことを良いことに、そもそも全く関係ない人間が、タダ飯目当てに葬儀に立ち会っていたりもしていた。
やはりというか、葬儀荒らしや、香典を盗む不届き者もいたが、私が働いていた所では、年に数回あるか無いかであり、私自身は運良く深刻な事態には遭遇しなかった。
しかし私が香典(供物)に関して、驚いたケースがいくつかある。
お金の他に故人が好んだ菓子などの好物、おもちゃや絵画、書籍なんてものも供物としてもってこられる列席者もいるその中で、とんでもない品を持ってこられた方が幾人かいるので紹介したい。
まず一人目は車を持ってこられた方だ。その方はとあるライダーズクラブに故人と共に参加されてた方で、生前に故人が欲しいといっていた車を購入してきたのであった。
日本が空前の好景気に沸いていた時代だからこそできた、離れ業だろう。
当然身内の方は相当驚いていたが、故人に想いを届けたいということで、渋々受け取っていたのが印象的だった。
二人目としては、土地の権利証である。これはご親戚の方であったが、故人から生前受け取っていたもので、本来は借りていたつもりが譲渡されていた為、返しにきたという話だった。
後ほど親戚間でのやり取りが行われることになったので、その後の展開は知らないが、当時の職場の先輩に聞くと、たまにある例だと言われ驚いたものである。
三つ目としては、これはある意味修羅場なのだが、子供の写真である…詳細は隠すが、どうやら故人の浮気相手との間に出来た子供の写真であり、とてつもない空気に包まれていたのを覚えている。
当人は棺桶の中だからいい気なもんである。その後の展開はただのスタッフである私には到底知り得ぬものであった。
四人目、これは哀しいもので机だった。子供用の学習机である。会館にトラックで机が運ばれてきたのを見て、居た堪れない気持ちになった。馴染みの会館付きのスタッフから、故人の祖父祖母から故人へのプレゼントだったと聞いて、私は会館の仕事を辞めようと考えるきっかけにもなった。
机に限らずだが、そこには故人へのさまざまな想いが詰められており、それに触れる気合いというか根性というか、覚悟が若輩ものである私には備わっていなかったからだ。
離別する哀しみは計り知れないものがある。
その表現のひとつとして供物としてのお金やものであるが、本当に届くべき残された者たちの想いを、私は故人へ届けられたのであろうか。
最後に会館付きの坊さんの朝の説法を一つ紹介したいと思う。
古い禅の話
昔、とある高名な和尚のところに、ひとりの修行僧がやってきて言いました。
『あなたは悟りの岸へ渡ることのできる堅牢な石橋だと思っていましたが、実際に来てみると、あるのは粗末な丸木橋だけですな』と。
すると和尚は『貴方はただ丸木橋を見ているだけで、石橋は見てない』と答えます。
修行僧から『どんなものが石橋なんですか?』と聞かれたので、
和尚は『驢馬も渡せば馬も渡すさ』と返します。
この話を要約すると、
とある和尚が、修行僧から、
『高名な和尚だと聞いて来てみたが、実際の貴方は単なるみすぼらしい人間ではないか。一体、貴方の何処にあの世に導く事が出来る要素があるのだ?』
と聞かれました。
和尚は
『驢馬も渡すし、馬も渡すさ』
と答えました。
ここで言う、驢馬は最もダメな馬という比喩として使われており、和尚は『どんなものでもあの世に渡すのが自分の役目だ』と明言している。
つまり、私達(葬儀会館の人間)が必ず故人を送りますので、ご家族や残された方は安心してくださいね。という意味合いを込めた説法である。
ひと言
ホント!?と思わず口に出してしまいそうな物ばかりですね・・・
故人の為を思う気持ちは大変うれしいですが、車とか持ってこられても正直・・・
迷惑です!!!
やはり、何をおいても偉い人達の顔が書かれた、あの『紙切れ』が一番ですよね。
間違いない!