【とんでもない葬儀の話】
70代の男性の葬儀
まだまだ元気で、勤めにも出ていたようだが、突然倒れて帰らぬ人となった。
喪主を務めたのは故人の長男。喪主には3歳になる息子(故人の孫)がいるのだが、この息子がとんでもなくヤンチャな子供だった。
開式前、棺を覗き込んで、いきなり故人の鼻の穴に指をブズッ!
ほっぺたをペチペチ叩いて、遊んでいた。
周りの大人に咎められて、一旦棺を離れたが、どこか不満そう。
急に大声をあげたかと思うと、棺に向かって猛ダッシュ。
故人の耳元に手を当てて、
孫おじいちゃーん!早く起きないと会社に遅れちゃうよー!
これには一同大爆笑だった。
母親が困り顔で、諭す。
すると今度は天を仰ぎながら、
孫おじいちゃーん!早く会社行かないと、偉い人に怒られちゃうよー!
あいや、そう言うことじゃないんだな。。。
孫えー!困るんですけどー!(おじいちゃんから)もうお金もらえないじゃーん!!
そこかい!?
故人はとある物流関係の会社で、週に数回日払いの在庫管理要員として勤務していた。
家に戻ると、小銭をおもちゃ代わりに孫にくれてやるのが、習慣となっていたらしい。
もちろん年齢が年齢だけに、お金の価値であったり、(会社での)労働の対価としてお金がもらえるといった、複雑な貨幣経済の仕組みについて正確に理解している訳ではないのだろうが・・・
いずれにせよ、孫の中では故人が会社に行ったら『お金』という面白いモノがもらえて、そのお金(彼にとってはオモチャか何かの類)を自分がお裾分けしてもらえると思っているのだろう。
まぁ、間違っちゃいないのだが・・・
その後もお焼香の抹香をあるだけ全部香炉にくべて、ちょっとした火災を起こしてみたり・・・
もはや葬儀の定番だが、突然鈴(りん)や木魚をフルスイングでぶっ叩いて、ただでさえ老い短い老人達の寿命を縮めてみたり・・・・
法話をしている僧侶を尻目に、大香炉に手向けられた小天香(30cmくらいある僧侶用の長い線香)をへし折って、坊さんの度肝を抜いてみたり・・・
まさにやりたい放題!暴虐無人な暴君と化していた。
そして僧侶の読経が終わって、お花入れの儀に入る頃には、葬儀の道具で遊ぶのにもすっかり飽きていた。
お花入れの儀の間は、何故か『カメハメ波』を出す練習に勤しんでいた。
いや、いくら練習しても、カメハメ波とか出ねぇし・・・
司会それではこちらが最後のお花となります。お近い方より、感謝のお気持ちを込めてお手向けください
もう好きにしてくれ( TДT)泣
そうやって騒ぎに騒ぎ、半分以上孫ひとりの手によって手向けられた、色とりどりの花に飾られたお棺は、ようやく出棺の時を迎えた。
しかし、案の定しめやかなクライマックスは迎えられなかった。
各自荷物をまとめて身支度を整える大人たちを見て、何やら退屈な儀式は、もう終わったと思ったのだろう。
お棺に続いて部屋を後にする大人たちの周りをドタバタと走り回りながら、孫が大声で叫ぶ。
葬儀が終わったら、故人の馴染みの店にウナギを食べに行く予定だとは聞いていたが・・・
祖父の葬儀など、散々退屈な儀式に付き合わされ、腹の空ききったこの3歳児の本能の前では、大した意味を持たない。
母親が慌てて叫ぶ。
孫えー!良いじゃん、そんなの後にして、ウナギ食べに行こーよー!
火葬という葬儀における一大イベントも、ウナギ&3歳児のコンビの前では、いささか歩が悪い。
じいさん焼くなら、ウナギ焼け!という訳か。
上手い!
母親ダメ!もうちょっとちゃんとしてないと、ウナギ食べさせないからね!
『葬儀が終わったら、(精進落としに)美味しいウナギを食べさせてあげるから、ちゃんとしてなさい』
大方、母親からそう言われて連れて来られたのだろう。
それにしてもお母さん、そんなに怒ってばかりいると、シワが増えますよ・・・
孫はーい。でもカツオになったら、ウナギ食べれるんだよね?
一旦海鮮から離れろやー!
『ねぇさん』
って、サザエさんファミリーか!?
母親カツオじゃなくてカソウね。でもそうよ。だからもう少し我慢しなさい!
えっ!?まだ全開じゃない!?
フリーザか!?
本気でどこら辺が『良い子』だったのかは、1ミリも分からんが、まぁこの際野暮なことを考えるのはやめよう。
孫おじーちゃんのーおーかーげーで、うーなーぎーが、たーべれる~(^^♪おじーちゃんのーおーかーげーで、うーなーぎーが、たーべれる~(^^♪
訳のわからない替え歌を口ずさみなながら、元気にスキップでお棺と共に火葬路へと消えていった。
うーん、ご詠歌や木遣り、賛美歌に見送られる出棺は何度か経験があるが、『ウナギの唄(即興)』に見送られての出棺は初めての経験だ。
ご詠歌(えいか)とは、仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、旋律=曲に乗せて唱えるもの。
日本仏教において平安時代より伝わる宗教的伝統芸能の一つである。
五七調あるいは七五調の詞に曲をつけたものを「和讃」(わさん)と呼び、広い意味では両者を併せて「ご詠歌」として扱う。
木遣、木遣り(きやり)は、労働歌の一つ、木遣り歌・木遣り唄とも。
1202年(建仁2年)に栄西上人が重いものを引き揚げる時に掛けさせた掛け声が起こりだとされる事がある。
掛け声が時代の流れにより歌へ変化し、江戸鳶がだんだん数を増やした江戸風を広めていった。
それにしても何とも賑やかな告別式だったが、これはこれで良いのかも知れない。
一般参列者も来るような従来型の葬儀ならいざ知らず、極々近しい近親者のみの近年の葬儀形態ならば、誰に迷惑がかかるという訳でもあるまい。
近年は結婚して子供を産むことが、当たり前ではなくなった。
もちろんそれは自由だが、子供(特に小さな孫の世代)の存在は、とかく湿っぽくなりがちな葬儀を明るくしてくれる。
老い逝(ゆ)く者と、生まれ行(ゆ)く者
親から子へ、子から孫へ
故人が紡いだ不思議なご縁に、脈々と受け継がれる命の営みを感じさせてくれる。
この世での役目を終え、命の故郷へと戻るあの人を、ウナギとカメハメ派で見送った、とんでもない遺族の話www