【とんでもない葬儀の話】
とある高齢男性の葬儀。
4年に渡る療養期間の末に亡くなられた方で、ご家族は看護と介護に明け暮れたと聞いていた。
リハビリも兼ねた手術入院で半年、自宅療養を2年だそうだ。しばらく小康状態が続いたが、その後体調が思わしくなくなり再入院。手立てを尽くしたものの、1年ほどで他界されたそうだ。
特に喪主である奥様は、面会時間はほぼ病室に詰めてご主人を見守り励まし、必死に命をつなごうと努力なさったと他の遺族から聞いた。
いやいや、なかなかマネできることじゃこざいませんよ…
しかし残念なことに、力及ばずでご主人は他界され、覚悟の上とは言っても奥様の落ち込み様はかなりのものだったのは事実である。
経験した人にはわかるだろうが、葬儀というものは本当に慌ただしい。即座に葬儀社との打ち合わせを行い、歴や式場/火葬場の空き状況を見ながら、基本的には最短かそれに近い日程で、通夜や告別式を設定。粛々と進めていくことになる。
葬儀が忙しいのは、悲しみを紛らわすためだと言われている。葬儀でバタバタしているうちに、悲しみを一段階超えることか出来るからというのだ。
これはあながち間違いではない。実際ここで、心を落ち着ける遺族の人は多いのだ。
この奥様も、必死に葬儀のことなど頑張って準備を進めていた。
もちろんお子さんたちも協力していたが、奥様としては大事なご主人の葬儀は自分で取り仕切りたいと思ったのだろう。本当に必死だった。
そのかいがあって、葬儀の予定もきっちりと立ち、通夜も滞りなく終わって告別式を迎えたのだ。
しかし喪主である奥様のお疲れ具合は、この時点でもかなりのものと推察された。
今時分にしては珍しく、告別式には通夜の日よりも多くの参列者が訪れた。すでに故人は仕事をリタイアしていたが、それでもかなりの人数が集まってくれたのは、故人のご遺徳というべきだろう。
その人達に挨拶をして、何くれとなく言葉をかわしていた奥様。こちらとしては大丈夫かなと時々様子を見ていたものの、何とか乗り越えられそうではあった。
しかし、いざ告別式が始まって読経が開始されたあたりで、いささか問題が起きたと言うか、困ったことになった。
喪主爆睡!!!
疲れが極限に達したところで、ゆったりとした読経が始まったのが悪かったのか、奥様が船を漕ぎだしたのだ。
最前列なので、他の親族にも丸見えだが、もちろん皆さん喪主のお疲れを察して無言のままだった。
例によって私がアホみたいなことを考えている間に、僧侶の口から恐れていた悪魔の一言が飛び出す。
もちろん喪主である奥様は夢の中。その声は届かない。
八つ当たりのひとつもブチかましたいところだが、僧侶は後ろ向きなので、状況はおわかりではない。
会場にいる全員が、(さあどうしたものか)と目を見合わせ、そしてその目線が私の方に向けられる。
『葬儀屋!何とかしろ!』という、無言の圧力・・・
ゆっくりと喪主に向かって歩き出そうとしたその瞬間、子供の大声が斎場に響き渡った。
二人の孫だ。低学年(小学校)と年長(保育園)くらいで声も高く響く。流石にその声で、奥様の目が覚めた。
(|||ノ`□´)ヌオオオォォォー!!
子供たちよ!世の中には口に出してはいけないことが~!!!
ハッとあたりを見回し、瞬時にして状況が飲み込めた様子の奥様。穴があったら入りたいと言った風情になられ、身の置き場がないという風に縮こまってしまったのは仕方のないことだ。
しかし純粋無垢な子供の力は、時として大人のそれを遥かに凌ぐものだ。
声を上げた二人の孫が奥様のところまで走っていって、彼女の手を引く。
そう言って、笑ったのだ。
この一連の出来事で、ある意味葬儀会場の雰囲気はほぐれ、温かい空気に包まれる。
やれやれである。
ひとつ付け加えると、さらにその後の僧侶のお説教で、
と言う趣旨の法話が入ったのは、何とも良い始末だった。
後にこの奥様が挨拶に見えた時に、謝罪とともに、
と言っていらしたのも印象的だった。
でもしっかり自分の体も労わろうね!じゃないと故人も安心してあちらの世界に行けないよ!って思ったとんでもない(って訳でもないけど)遺族の話。