親との死別体験談
この世に生まれてくる命がある。
あの世へと帰っていく命がある。
自らの手で断たれる命がある。
生きたくても生きられない命がある。
この世の命の不思議・・・
ある日、母が癌になり余命宣告されました。本人が健診を嫌がって、自覚症状が出るまで病院に行かなかったことが原因だ。自業自得なのかもしれない。でも、それでもなんとか助かって欲しいのが本音である。家族みんなそう思った。
しかし医者もさじを投げている状態で、抗がん剤で進行を抑えるしかない状態だ。本人も辛い。見ている家族も辛い。本当に心を蝕む病気である。
そんな矢先、自分が妊娠した。母に報告したらすごく喜んでくれて、「孫が出来るんだから、自分も治療頑張らないと」、と言ってくれた。生きる張り合いが出来たことをうれしく思った。
母はその後手術して術後の結果は良好だったと言う。良好だというのは父親経由で聞かされていたから真実は不明だった。でもちょっと安心した。1日でも1秒でも長く生きて欲しい。その間にいっぱい話したい。そう思った。
お腹の子も順調に育ち、気がついたら臨月になっていた。
予定日より早く破水してしまい、緊急手術にはなったものの、無事出産できた。
母は嬉しい、と10回くらい言った。母を喜ばすことが出来て本当に嬉しかった。「首が座ったころにゆっくり会いにきてね」、と言われた。首が座ったら赤ちゃんを会わせられることを楽しみにしていた。当然会わせることができると思っていたし、母も赤ちゃんの為に実家をリフォームしようかしらと言っていた。この時は。
ここから母の体調が一気に急変した。あれだけ元気だった母が疲れたと言って一日中寝ていることが多くなったと言うのだ。まあ歳だから仕方ないのかな?くらいに思っていた。食欲も無くなり、味噌汁しか食べない日も続いた。電話で話す声もなんか元気ない。流石に心配だった。
赤ちゃん誕生から1か月経ち、お宮参りに行った。自分の家族は母の介護があったので留守番だった。
その日の夜に母が倒れた。トイレで倒れ、漏らした。歩けない状態だった。救急車を呼び、病院に搬送された。
その救急車のなかで、自分がみんなと一緒にお宮参りに行く妄想をしていた。同行している父に「赤ちゃんに会えるの楽しみだね。もう見えるかな。窓開けてみて」と言っていたという。病院に着いてもそこを神社だと思い込み、赤ちゃんに会わせてよ!と叫んでいたそうだ。
その後、医者から病状を聞かされた。もう助からない。もって一ヵ月、そう告げられた。緩和ケア病棟にうつされた。
自分も産後の不調を抱えながらもお見舞いに行った。そこには変わり果てた姿の母がいた。自分の知ってるハキハキ喋る母はいない。
蚊の鳴くような声で一言喋るのが精一杯だった。ずっと目を閉じて辛そうにしているが、赤ちゃんの大きい写真を見せると目を見開いて、かわいいと言っていた。
自分も、「お母さん、大事に育ててくれてありがとう。大好きだよ」と告げた。ちょっと照れたような表情をしていた。
その3日後、母が亡くなった。覚悟はしていたとは言え、やはり辛い。
実母に赤ちゃんを抱かせたかった。一緒に昔の話をしながら世話したかった。もっと母にありがとうと言いたかった。そんな思いを抱えている。
普通に実家に里帰りして、親御さんと一緒に子育てしている友達がたまに羨ましくなる。なぜ自分だけ、母がいないんだろう。そう思って悲しくなる。
でもいつまでも引きずって元気無くしていたら、母は良い思いをしないだろうな。そう言い聞かせて、子供の前では笑顔を作って今日も頑張っている。
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