【仏教って何?】お釈迦様(ゴータマ シッダールタ)が本当に教えたかったこと…

仏陀(ブッダ)の教え

仏教というとお釈迦さまの教えなのだと思われています。

それは、半分はアタリで半分はハズレです。

ゴータマシッダルタの出家

確かに仏教は、インドの小国で産まれたカピラ城の王子、お釈迦さまの教えです。正式にはゴータマシッダルタ(ガウタマ シッダールタ)さまと呼びます。釈迦とは釈迦族の者だからそう呼ばれることもあるのです。

とはいえ、ここではよく知られている呼び方にしましょう。

お釈迦さまの母親が若くして亡くなってからというもの、お釈迦さまは生老病死の四苦について悩み考え続けたあげく、妻と子を城に置いて、単身、修行にでてしまったのです。お釈迦さまが仏教の開祖として信仰を集める半面、実はヒドイ人間としての一面も持ち合わせていたと言われる所以です。

いずれにせよ過酷な修行の末に、お釈迦さまは、肉体を痛みつけるだけの修行では悟れないのだと思い、お釈迦さまは菩提樹の下で座禅を組み、すべての苦しみを超越するひとつの答えをみつけ悟りをひらいたのだといわれています。

お経によれば、お釈迦さまは人々を救うために悟ろうと修行をしたわけでなく、自分自身の苦しみを解決したいがために修行をしていたようです。そこで梵天という神さまが、人々のために釈尊に教えを説いてほしいとなんども頼み、そして、はじめは乗り気ではなかったお釈迦さまがようやく心を決めて人々に教えを説いてまわる生涯がはじまったのだといわれています。

身内の不幸から逃れる為に全てを捨てて苦しい修行に出る。自分の為に苦行を繰り返していたところ、「それではダメだ!」とたしなめられる。お釈迦さまもこう見てみると、なかなかにして人間臭いですよね。

仏教の確立と経典

仏教のお経はたくさんありますが、そのお経のすべてをお釈迦さまが伝えたものではないとされています。

お釈迦さまが生きていた時代は、哲学や宗教的な教えは、文字にしてはいけないとされていました。その後、お釈迦さまが入滅後、二百年ほどたってから、書き記されるようになったのです。

お釈迦さまが入滅されてから百年間ほどの頃の仏教を原始仏教と呼んでいます。その後、百年後あたりから、保守派と革新派が分かれていくのです。

保守派の人たちは出家して、家族やもろもろのものを捨てて修行に生きるべきものとするのが本来の仏教だと信じるグループで、南伝仏教などと呼ばれています。
革新派の人たちは、すべての生きているものすべてを救ってこそが、ほんとうではないかと信じる大乗仏教と呼ばれます。

法華経や阿弥陀経などは、大乗仏教の代表的なお経です。過去には大乗仏教はお釈迦さまが説いた教えではなく、後世の弟子たちが新たに説いたお経であるという説がありました。今ではいろいろと仏教研究が進み、やはりお釈迦さまが初期に説いた教えだともいわれていており、いまだにどちらが本当なのかはわかっていません。

ちなみに、法華経には、お釈迦さまは生まれ変わりをくりかえしていて、今回が最後の生まれ変わりであるということも書いてあります。

世界の宗教人口

世界の宗教人口の統計は以下の通りです、

  • キリスト教 約32%、
  • イスラム教 約20%、
  • インドの主要宗教であるヒンドゥー教 約12%、
  • 仏教 6%  

世界3大宗教に数えられる仏教ですが、キリスト教やイスラム教に比べるとずいぶん水をあけられているのが分かります。発祥の地インドでは、ヒンドゥー教徒の半分しか信者はいません。

いずれにせよ仏教は、インドからチベット、中国へと伝わり、朝鮮を経て、日本へとやってきたとされています。 現代では、お釈迦さまの説いた仏教の発祥地であるインドでは、信仰されている方は少なく、ヒンドゥー教が多いのですから、仏教は中国や日本において開花したといえるのかもしれません。

仏教における3つの時代

仏教では正法の時代と像法の時代、そして末法の時代があるとされています。

お釈迦さまの教えが正しく教え伝えられる正法の時代。お釈迦さまが禁じていたとされる超能力的なものや、仏像などが本格的につくられる像法の時代。

そして鎌倉時代の頃からは末法の時代といわれていて、お釈迦さまの説いた教えが滅んでしまう時代(末法思想)であるとのことです。その内容は「月蔵経」や「金光明経」に記されています。

大涅槃経

大涅槃経には、お釈迦さまの遺言のようなお話が記されています。

『私がこの世を離れたあと、自ずからを光とし、法を光とせよ』とあります。

また、『私は無上の悟りにたどりつく道を指し示すことはできる。しかし、その道を歩むのは、ひとりひとりの足をもっていかねばならない。私の説いた教えは、私が悟ったことの一部にすぎないのだ』と。

仏教とは

仏教のお経の言葉は、現代の私たちにもなにかと参考になるものがありますね。その教えや言葉はひとつの道筋を示してくれるものに間違いはありませんが、正解を導く絶対的な答えではありません。

『私は無上の悟りにたどりつく道を指し示すことはできる。しかし、その道を歩むのは、ひとりひとりの足をもっていかねばならない。私の説いた教えは、私が悟ったことの一部にすぎないのだ』

最初は親や先生、そして上司や先輩にいろいろと教えてもらったあとは自分の道を、自分のこたえを、自分でさがして進みなさいということなのでしょう。

お釈迦様の伝えたかった【仏教】とは師のヒントをもとに、自らの人生のこたえを探す旅・・・なのかも知れませんね。

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