仏陀(ブッダ)と仏教
仏の教えと書いて【仏教】。
皆様は仏教と聞いて、どんな教えを思い浮かべますか?
むやみに生き物を殺してはいけません。
人の悪口を言ってはいけません。
老人や女子供など、弱い者には優しくしなさい。
先祖を大事にしなさい。
ナムアミダブツと唱えて、阿弥陀様にすがりなさい。
などなど・・・
誰しも幾つか頭に思い浮かぶ事があるでしょう。
お釈迦様はその人、ひとりひとりあった教えを様々に説いたとされており、その数は8万4千にも上ったとも言われます。
もちろんこれは実際の数字と言うよりは、非常に沢山の教え(お経)を説いたという例えですが、何れにせよ多くの教えを遺した仏教であるからして、あなたが思い浮かべたものはおそらく全て正解です。
しかし、それは長い歴史の中で、培われていった仏教の一面であるとも言えます。
では、仏教の本質とはどこにあるのか?
お釈迦様が最も大切にしていた事とは一体何なのでしょうか?
お釈迦様の教え
お釈迦様が本当に伝えたかったこと、それは…
【生きている時に幸せであれ】
と言うことです。
意外と普通、イヤイヤ、シンプルですよね。
ちなみに仏教と言うと、この世での救済(現世救済)というよりは、来世救済というイメージが強いかも知れません。
苦しい現世を耐え抜き、来世はもっと良い所に生まれ変わろう。そうして幾度となく繰り返される輪廻転生の中で、次第に仏に近づき、いつの日かその苦しみの輪の中から完全に抜け出す(解脱)、これが来世救済です。
葬式仏教と言われて久しい日本の仏教においては、むしろそのイメージしかないかも知れませんね。
もっとも世界的に見ても、仏教に限らず宗教と言うと、そうした来世救済の側面ばかりが目立ちがちです。
天国・浄土・彼の地・あの世・・・
呼び名は違えど、死後の素晴らしい世界を夢見てガンバロウ!という宗教観は普遍的なものの様に感じます。
しかし、あくまでもお釈迦様が最も思考を傾けておられたのは、現世での幸せです。
言い換えれば、
【どうしたらこの世で幸せになれるのか?】
ということです。
お釈迦様の考え方
例えば、コップの中に水が半分入っている。
これを、半分しか入っていないと捉えるのか、はたまた、半分も入っていると捉えるのか?
受け取るイメージは全然違うものになりますよね。
事実はひとつだけれども、物事は解釈次第で大きく変わる。
解釈ひとつであなたの人生はどうとでもなる!
いかにも体育会系の企業が好きそうな、キャッチフレーズですよね。
実際私がいたIT系の会社でも、月末が近くなると決まって上司が、各自が立てた営業目標数字をユビ指しながら、
なんて、無駄にどでかい声を張り上げていました。
【24時間働けますか?】でお馴染み、倒れるなら前のめりにの行こう!
高度経済成長期の日本にはぴったりの思考ですね。
しかし、今や過去の栄光も消え失せ、夢や希望に満ち溢れていた日本はもうありません。
社会を支える人口におけるゆとり世代やノマド世代も多く、スローライフがもてはやされている時代。
『ゆっくり行こうよ』ですか?
さて、お釈迦様の答えは・・・
『どちらも正解』
だそうです。
肩透かしを食らった気分ですか?
ちなみに私はそうでした笑。
お釈迦様は、
重要なのは、どちらが正しいかではなく、
どちらかを選べば今のあなたの心が穏やかになれる、或いは幸せになれますか?
と言うことだと、この様に仰っているんですね。
お釈迦様はさらに、
『選択を迫られた時、人間は自らの意に反してわざと苦しい方を選んでしまったりする、あるいは追いつめられていると、ひとつしか考が浮かばなかったりするものだ。だから私と一緒に考えましょう』
こう言っておられる。
これが仏教です。
悟りとは
お釈迦様は一生懸命、そのための手がかりを遺していかれようとしたのです。
そしてそのヒントを参考にしながら、もしあなたが、自らの心が穏やかになる選択をしたならば、それが【悟り】なのだというわけです。
【悟り】と聞くと、何か難しい話の様に聞こえますが、実はとてもシンプルです。
自らの幸せを願って、時に果敢にチャレンジするも良し、時に逃げてしまっても良し。
難しく考える必要はありませんよ。ありのままの自分を受け入れなさい。
それが【衆生(人間)】なのだから。
お釈迦様は、この様に仰っているのです。
どうですか?少しは気持ちが楽になりましたか?
お釈迦様は単に小難しい哲学者ではないんですね。(小難しい事も沢山言っていますが笑)
つまづいたっていいじゃないか。逃げたっていいじゃないか。
『だって人間だもの』
相田みつをさんがお釈迦様の化身なんじゃないかと思えてきたところで、本日はこの辺でm(_ _)m