葬儀屋が語る「大切なこと」
誰の死も痛ましいことだが、若い人の葬儀はやはり格別に辛いものだ。
私がまだ駆け出しのころ、18歳の青年の葬儀を担当させていただいたことがある。
式までに少し時間があったので、担当したご導師にひとつ教えを請うた。
それは・・・
深い悲しみを前にしたご遺族を目の前にして、我々はいったどの様な言葉をかけることが出来るのだろうか?
ということだ。
「それではひとつヒントを差し上げましょう」
そう言って、その導師は静かに話し始めた。
キサーゴータミーの物語
インドの古い時代に、キサーゴータミーと言う女性がおりました。
彼女は大変に不幸な人生を送った人でしたが、子供が生まれることにより、その人生は一変します。今までとは打って変わって、それはそれは幸せに暮らしていました。
しかし運命とは時に残酷なものでございます。この子供が早くにして、流行り病でお亡くなりになってしまった。
大変に悲しんだ彼女は、その亡骸を抱いてお釈迦様のもとを訪れます。
「お釈迦様、どうかこの子を生き返らせてください。」
そう泣いて懇願する彼女に、お釈迦様はこうおっしゃいました。
「それではあなたの村に戻って、ケシの実を1つ持ってきてください。ただしそのケシの実は、今までに誰も死者を出していない家から出なくてはいけませんよ。そうすればあなたの望みを叶えてあげましょう。」
当時ケシの実と言うのは、どこの家庭にでもある一般的なものでした。彼女は喜んで出かけていきます。
とある家を訪ねます。
「私の大切な子供が大変なことになっていて、どうしてもケシの実が必要なんです。」
「あぁ、どうぞ持っていってください。」
「ありがとうございます。ところでひとつ確認ですが、この家からは今まで死者を出した事はありませんか?」
彼女は質問した真意を話します。
「いや申し訳ない。実は10年前に両親を亡くして・・・・」
「そうですか。」
「すいません、子供のためにケシの実を1つ分けてくださいませんか?」
「いくつでも持っていってください。」
「有難うございます。ところでひとつ確認ですが、この家から今までに1度も死者を出した事はありませんか?」
「いや、申し訳ない。実は3年ほど前に祖母を亡くして・・・」
「大変申し訳ない。実は5年前に姉を亡くして・・・」
「申し訳ない。実は去年私もあなたと同じように息子をなくして・・・」
そう言って村人達は皆、自らの辛い過去を重ね合わせて、彼女のために涙を流してくれた。
結局ケシの実を手に入れる事は出来ませんでしたが、彼女はハタと気付いてお釈迦様のもとに戻ります。
「お釈迦様、私は自分の息子だけが死んでしまったと思っていたけれども、誰もが大切な人を亡くした記憶がある。この世に何と死者の多いことか。結局人は死からは逃れられないのですね。」
そう悟ったという物語です。
さぁどうでしょう?
喜びは分かち合うことで2倍になり、悲しみは分かち合うことで2分の1になる・・・
キサーゴータミーの悲しむ姿に自らの過去を重ね、彼女のために村人達が流してくれた涙が、底の見えない深い悲しみを、和らげてくれたに違いない。
思うに・・・
残念ながら我々は人の悲しみを肩代わりしてあげる事は出来ません。
しかしながらその悲しみを分かち合いうことで、少しでもその悲しみを持ち去る事が出来るではないか?
そのように感じる訳でございます。