『スンニ派』と『シーア派』
何かとよく目にするイスラム教の二大勢力、『スンニ派(或いはスンナ派、スンニー派とも呼ばれる)』と、『シーア派』。
いったいこの2つの派閥はどう違うのだろうか?
イスラムの歴史の流れを追いながら、宗派の違いを誰でも分かるように簡単に解説する。
開祖『ムハンマド』の時代
西暦610年
ムハンマドがアッラー(アラビア語で【神】の意)への信仰を説き始める。
そして時は流れ・・・
初代正統カリフ『アブー・バクル』の時代
バキッ!!〇===== (`ε´)o
西暦632年
アブー・バクル即位
そして時は流れ・・・
西暦634年
アブー・バクル病気により死去
2代目正統カリフ『ウマル・イブン・バッターブ』の時代
バキッ!!〇===== (`ε´)o
西暦634年
ウマル・イブン・バッターブ即位
そして時は流れ・・・
西暦644年
ウマルが個人的に恨みを買った奴隷により暗殺される
3代目正統カリフ『ウスマーン・イブン・アッファーン』の時代
バキッ!!〇===== (`ε´)o
西暦644年
ウスマーン・イブン・アッファーン即位
そして時は流れ・・・
西暦656年
ウスマーン・イブン・アッファーン下級兵士の反乱により殺害される
4代目正統カリフ『アリー・イブン・アビー・ターリブ』
西暦656年
アリー・イブン・アビー・ターリブ即位
そして時は流れ・・・
西暦661年
アリーがモスクで祈祷中に暗殺される
正統カリフ以降
どうです?これがスンニ派とシーア派です。
簡単でしょう?
相違点のまとめ
日本人の中には、例えば日蓮宗と浄土真宗のように、宗教そのモノの解釈の違いからくる宗派対立だと思っている人も多い。
しかしあくまでも根本的な原因は跡目争いであり、そこから派生した政治的な対立だということだ。
よってイスラム教そのモノの解釈とか、信仰という根本的な部分にはさほど違いはない。
スンニ派の特徴
ムハンマド以降の4人を正統なカリフ(最高権力者)と認める。 | |
ムハンマドからみんなで受け継いだ精神と慣例・慣行を大切に、4代カリフ以降は話し合いで王を決めていくべきだと考える。 | |
つまり・・・ムハンマドという絶対君主亡き後、その時最も相応しい代表を選ぶ民主主義的な立場から、イスラム国家を運営しよういうのがスンニ派。 |
シーア派の特徴
元々は4代目カリフ・アリーの支持者層 | |
ムハンマドとアリー、そしてアリー亡き後はその子孫しか正統なカリフとは認めない。 | |
世襲制による独裁国家的な立場から、イスラム国を運営しようとするのがシーア派 |
その他の相違点
そうは言っても派閥が違う以上、多少の相違点はある。代表的な相違点も示しておく。
スンニ派はシーア派に比べで戒律を重視する。 | |
シーア派はスンニ派に比べて、戒律よりも信仰の内面を重視する。 | |
シーア派はスンニ派程には偶像崇拝を禁忌としていない。 |
勿論細かな相違点はこれ以外にも多々ある。
ネットを見ているとそうした相違点をあげつらい、教義の観点から「スンニ派とシーア派は明確に違う」と主張する人間もいる。
また、彼らには明確な派閥意識があると主張する人間もいる。
だが、何度も言う様に元々の原因が跡目争いなのだから、大して違いが出てくるはずがない。
実際少なくとも私がエジプトで暮らしている時分、両者の間に大きな溝や隔たりを感じたことはない。
よって彼らには我々が考えている程、教義上に関する明確な派閥意識はないというのが私の考えだ。
二大派閥の問題点
では何故近年こうした対立が、頻繁に取り沙汰されるのだろうか?
イスラム教全体でスンニ派の占める割合は85%に上る。
一方のシーア派は15%程度だ。
過去の跡目争いに敗れ、異端扱いに堕ちた少数派のシーア派は、社会的弱者であり、経済的・社会的に困窮することが多い。
どこの社会でも弱者は何かと問題を起こし、社会の鼻つまみ者となりがちなもの。
必然的に社会的弱者である下級層と、富と権力を持つ中上級層の争いという構造になる。
強引に例えるならば、日本における自民党支持者と社民党支持者の対立、アメリカにおける共和党(支配層)と、民主党(非支配層)の対立の様なものだ。
国内が安定している日本やアメリカなどと違い、情勢が不安定なイスラム国家では、ふたつの勢力による、激しい対立や混乱に繋がる事態も起きる。
また、近年ではイスラム過激派が台頭し、敢えてこうした派閥争いを煽り、イスラム全体を分裂と混乱に陥らせようとしている。
開祖の理念や宗教そのモノの本質とは全くかけ離れた政治的思惑により、イスラムが大きな分裂に危機にあることは、非常に悲しいことだ。
ムハンマドは墓の下で泣いているに違いない。