【الله أكبر(アッラー・アクバル)『神は偉大なり』】
2016年7月1日、数人の男たちがそう叫びながら、店内にいる人々に銃弾を浴びせた。
バングラデシュの首都ダッカのレストランが、イスラム過激派に襲撃された事件だ。
7人の日本人を含む20人と、現地の警察など多数の死傷者を出した。
「カラバ(大)」を語源に、その派生系の「アクバル(偉大)」
アラビア語ではとても重要な言葉だ。
私の暮らした熱狂的なイスラムの国、エジプト。
「アッラ~、アクバ~ル♪」
4時を30分ほどまわると、私の住む目の前のアパートのモスクに設置されたスピーカーから流されるアザーン(礼拝の呼びかけ)が、決まって窓を震わせる。
「さあ、起きる時間だ!お祈りをさささげよう!」
神からの強烈な目覚し時計だ。
朝もやの中、街はゆっくりと目覚めに向かい、次第にその動きを活発化させる。
決まって日の出とともに繰り返されるイスラムの洗礼に、最初こを戸惑いを隠せなかったのは事実だが、次第にそれは私の生活の一部となっていった。
眠い目をこすりながら、それでもきちんとモスクにやってきて祈りを捧げる人々を見つめながら、アエーシ(エジプトのパン)をかじるのが、私の朝の日課となった。
祈りの時間を知らせる【アッラー・アクバル】
それは宗教からかけ離れた国からやってきた若者にとって、彼らの暮らす国を、文化を最も自然に教えてくれるものだった。
それを受け入れたとき、彼らの国に暮らす一員として、心から彼らに認められた気がした。
【アッラー・アクバル】
私にとってそれは単なる言葉を超えて、まさにイスラムを代表する言葉であり、また平和に象徴だった。
そんな言葉が、凄惨なテロの度に、紙面に踊る。
その言葉を見るに付け、どれほど心が痛むことだろうか。
いったいいつからこの世界は、そんな悲しみと憂いをたたえた、世界になってしまったのだろうか。
少しでもイスラムを学んだ者ならば、分かるはずだ。
イスラムはこうしたテロで使われるために、この言葉を生み出したのではない。
イスラムでは、全ての物事は神が決めると言われる。
しかし、この現実すら神が決めた事だというのなら、あまりに酷い。
もう二度とその言葉が、テロと共に語られる日が来ないことを願ってやまない。