昔からダメージジーンズが大好きだった!
それも下の写真の様な結構ボロボロのやつが。
日本の大学に通っていた時、交換留学生としてエジプトの大学に留学が決まった。
就学ビザを取ったり、生活用品を用意したり・・・あれやこれやと準備で忙しかったが、その合間を縫って、エジプトで使用するダメージジーンズを作ることを忘れなかった。
エドウィン、リーバイス、Leeなどのジーパンを購入し、アラブの街を闊歩する姿を想像しながら、丹精込めて数本のジーンズを作り上げた。
現地に着いてみて分かったのだが、エジプトにはダメージジーンズを履く習慣は皆無だった。むしろ梅宮辰夫バリに青々としたジーンズにアイロンをかけ、綺麗に磨きこまれたローファーを履くのが若者の流行りだった。
草彅剛が聞いたら即倒しそうなファッションスタイルだが、貧富の差が激しいエジプトでは、家柄の良い家の人間ほど、より綺麗なジーンズ、より磨きこまれたローファーの傾向が強くなる。
そんなエジプトで世界第二位の経済大国からきた留学生はと言えば、問答無用で金持ちグループに分類される。
ボロボロのジーパン姿で、トップスも見るからに使い込まれた古着で固めた日本人など、少々大げさに言えばビルゲイツがパンツ一丁で街を徘徊している様な異様さがある。
当時からそれ程治安がそれ程良くなかったエジプトでは、私達日本人やヨーロッパなどからの留学生は、全員治安の良い高級住宅街に住んでいた。
何故か乞食みたいな格好をしたアジア人のボンボンが、高級住宅街からエジプト人の中でも、真のお金持ちのエリートしか入れない名門大学に通っている。
周囲のエジプト人からすれば全くもって意味不明な現象であり、常に好奇の的だったが、当時の私はそのことに全く気が付かなかった。
街中で指をさされることは日常茶飯事だったが「あれが日本のファッションだ!」と言われているとばかり思っていた私は、完全に勘違い野郎と化していた。
そんな私だったがある日その勘違いを、まざまざと思い知らされる事態に遭遇する。
その日自慢のダメージジーンズと古着に身を包み、市場を歩いていると、同じ留学生仲間が物乞いに施しを要求されていた。
物乞いをはじめ、貧しい現地人が金持ちの外国人に金や食べ物をたかることは、よくあることだ。
私が知り合いの留学生に近づいていくと、その男性は私に向かって施しを求めてきた。
しかしその動きが一瞬止まる。
私を凝視した彼は、「すまん」と一言言い残し、すごすごと去っていった。
事態は良く分からなかったが、取り敢えずしつこい物乞いもいなくなったので、私達は連れ立って歩き出した。
すると少しして、先程の男性が大声で叫びながら走って来た。そして1ポンド札(確か当時の日本円で35円くらい)を私の手に握らせた。
理解不能の事態にお金を突き返そうとするが、物乞いはお金を握った私の手を、更に自分の手で強く握り、「いいんだ、いいんだ」と繰り返す。
いくら返そうとしても、一向に聞き入れようとしない。
そう物乞いは私に向かって必死に語りかける。
【喜捨(ザカート)】
確かに以前ブログで書いた通り、イスラムには自らより貧しい者に施しを与えることが、最も重要な教義のひとつとして存在する。
【喜捨(ザカート)】についての詳しい記事はこちら↓
そうして与えた者は徳を積み、与えられ者は生きることが出来る。
それで有難いことに、お金を恵んでくれた訳ですね。
あざーす!
ってふざけんなー!!!
何で物価水準のはるかに低いエジプトの物乞いに、世界第二位の経済大国出身で、留学まで可能なそこそこ金持ってる家の俺様が、貧乏人扱いされなきゃならんのだ!!!
ブチギレた!
強引に物乞いの手を払いのける。
すると物乞いが涙目になりながら、私に言うではないか。
二つほど補足すると、まずアラブの乞食は本末転倒だがこうした「喜捨制度」がある為、実は結構裕福だ。
言い方は悪いがボロを身にまとい、人々の優越感と信仰心を満足させる為の、ある種の職業と言ったら分かり易いだろうか。
一仕事終えた物乞いが、タクシーで帰宅などと言う、日本人からしたら笑えない冗談みたいな光景は、まま見る。
もうひとつはイスラムにおいて、全ての会話には神が同席しているとの考え。つまり2人で会話しているつもりでも、実際は神1、人間2での会話となっており、あろうことか彼は神の前で自分より貧しい(と何故か信じている)人間から金を取ろうとしたことになる。
物乞いはイスラムのこうした制度で生かされているという自覚がある為、意外とこうしたことを気にする。
しかし全然理解出来ない!
強い口調で問い詰めていた。
すると物乞いの口から思いもよらない一言が。
もうお気付きですね?
(若いヨーロッパ人やアジア人は、ほぼ100%学生)
何かが音をたてて崩れ去った。
そう言えば何故か他の留学生に比べて、私はボラれることが極端に少なかった。お金持ちの行く店に行っても、あまり店員が寄ってこないのも、貧しい子供達に異様に人気があったのも・・・
空を覆う雲が風に流され、一気に日の光が差すかの如く、様々な疑問がみるみるうちに解決していく。
(そういうことだったのか・・・)
近くにいた肉屋の店主がゆっくりと近づいて来て肩を叩いた。
店主の顔はとても優しかった。
私は力なく1ポンド札を握り締め、物乞いにお礼を言ってその場を後にした。
ショックだった。お陰でどうやって家に帰ったのかすら覚えていない。ただ灼熱の太陽にさらされ、やけに腕がジリジリしていたことだけは覚えている。
その夜全てのジーンズを捨てた。
あんなに丹精込めて作ったはずなのに、不思議と未練は全く無かった。
毎年多くの日本人が訪れる屈指の観光地。
しかし物乞いから本気で施しを受けた日本人は、私が初めてに違いない。
異文化理解とはかくの如き難しきモノなり。
そう思い知らされたエジプトの夏・・・