イスラムの基本理念
【イスラム】とはアラビア語で「委ね」を意味する。委ねる対象は勿論「神(アッラー)」。ちなみに【アッラー】とはアラビア語でズバリ『神』の意。
これは人間の力ではどうにもならない厳しい自然環境で、良くも悪くも人智の及ばない次元での「誰かのせいにしたい」という運命論的思考が働くのは、古今東西、洋の東西を問わず人間という存在の常なのだろう。
しかし、「委ね」にはもうひとつ意味が存在する。それは元来「人間とは怠惰な生き物だ」という、謂わば性悪説に似た考え方だ。だからこそ自由にしてしまっては、堕落の一途をたどる。
そこで神が厳しく管理するというのが、イスラムにおける「委ね」の基本理念だ。神からのメッセージと共に、厳しい神からの管理体制を紹介したい。
五行(ごぎょう)
イスラム教徒(ムスリム/モスリム)が守るべき、最も重要な5つの行いを【五行】という。具体的には下記の5つの行いを指す。
1.信仰告白(シャハーダ)
「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒である」
イスラム教徒(ムスリム)になる場合、「敬虔かつ公正な男性イスラーム教徒」2人の前で信仰告白を唱えれば、その瞬間からムスリムとして認められる。
教会に赴き神父(牧師)から洗礼を受けるキリスト教や、僧侶から戒を授かる(授戒)仏教に比べて簡素。キリスト教における洗礼名や、仏教における戒名に当たる特別な名前も無い。
人が何かを信じることはごく自然なことであり、その証明に特別な儀式や面倒な手続きなど、不必要というメッセージだろうか。
2.礼拝(サラート)
1日5回メッカに向かっての礼拝義務。
- 夜明け(起床)
- 夜明け後(仕事前や午前中のブレイクタイム)
- 昼(昼休み)
- 日没(仕事終わり)
- 夜(就寝前)
ここまで書けば、何かにお気付きだろうか?
目覚まし代わりの1発目から始まる礼拝は、神の定めた、ある種のタイムスケジュールだ。純粋に神への信仰心を示す為の行為の裏には「規則正しい生活をせよ」との神からのメッセージが込められている。
金曜日(イスラム教の祝日)は少なくとも1回はモスクに出向き、皆と共に礼拝することが良しとされる。
地域内でのコミュニケーションを活性化させ、結束力を高めよとのメッセージなのだが、今日の日本人にとっては何とも耳が痛い。
3.喜捨(ザカート)
裕福な者が貧しい者へ行う寄付・喜捨・施し。
現在では「ザカート」を一定の財産にかかる財産税(救貧税)、「サダカ」を自由喜捨と呼んで区別しているが、元々はどちらも自主的な喜捨を表す。
共同体としての性質の強いイスラム世界が生み出した、社会福祉システムが、この喜捨制度。そこには富や成功とは(神の意思による)周囲の協力があってはじめて得られるものとの考えがある。
故に「周囲に感謝し、他の人々を気遣う心を忘るべからず」という神のメッセージがある。人間はひとりでは何も出来ないということだ。
4.断食(サウム)
イスラム暦(ヒジュラ)の第9番目の月(ラマダーン)の1ヶ月間、日の出から日没までの間、飲食・喫煙・性交の禁止。
ヒジュラは太陰暦の為、その年によって時期は異なる。
唾液を飲みことは禁止されているわけではないが、敬虔なイスラム教徒の男性は、唾すら飲まない。
断食の主な効果と狙い
- ある程度腹を空腹にすることで、節度とバランスを保った生活環境を構築する。
- 体を休める。
- 食べ物の有り難みを知る。
- 思考を活性化させる。
断食中の食事
断食期間中は日没後に家族や親戚・友人を招いて一緒に食事を摂る。大勢での食事はタダでさえ美味しいものだが、大変な空腹時となれば尚更だ。
ラマダン中に求められること
- 自らの行いを省みて品格を高める。
- 今までの罪を洗い浄める。
- 自らが苦しみを体験することで、他人の痛みや苦しみを知る。
- 社会の連帯感を高め、弱者を救済する。
上記の事柄を目的とした謂わば「精算・浄化・再生」の期間だ。
誤食と免除
小さな子供、妊婦、老人、病人、旅行者、重労働者、戦争中の兵士等、正当な理由のある人間は免除されており、柔軟性は比較的高い。(出来る限りにおいては、諸事情が解決した後、やり直す事が求められる。)
うっかり食べてしまったらどうだろうか?
答えは問題にはならない。
また、生命に関わる薬の投薬等は禁止されていない。
昼夜を通した断食や、ラマダン月以外の月も断食を行うことは、原則禁じられている。身体を激しく痛めつけることを目的としていないからだ。
まとめ
「いつもいつも好きな物食って、やりたい放題しながら生きてるんだから、1年にひと月くらい我慢というものをしてみろ!」
「空腹で活性化した頭で自らの行いを省み、行動を改め、そしてその証として他人の為に善行をしてみろ!」
暴飲暴食で酷使した体を休め、貧しい人を思いを、自らは食べられることに、ひいては生きていることに感謝しろ!」
「家族やなかなか会えない親戚・知人を招き食事を共にしろ!彼らに感謝し、人と人との親交を深めろ!」
これが神からのメッセージだ。
5.巡礼(ハッジ)
一生に一度イスラム最大の聖地メッカ(マッカ)にあるカアバ神殿へ巡礼する行ない。イスラムへの忠誠心をより強固なものにする目的があり、イスラム暦(ヒジュラ)の第12番目の月の8日~10日を中心に行われる。
他の五行と違い、経済的・体力的に可能な人間だけが行えば良いとされており、必ずしも強制ではない。
ハッジを完遂した者は、イスラム社会で大きな尊敬を集めていたが、近年は経済・交通手段の発達により、メッカから遠く離れた地域のムスリムにとっても、ハッジは一般的な行ないとなりつつある。
義務ではないが、イスラム教第2の聖地メディナ(マディーナ)の「預言者のモスク」(ムハンマドの墓)にも詣でることが通例となっている。
ハッジはムスリムにとっての夢であり、人生におけるひとつの大きな目的となっている。イスラムへの信仰心を強大なものにさせ、イスラム社会の連帯を構築する為の大きな役割を担っている。
それでは裏に隠された神からのメッセージとは?
今でこそ旅行は一般的な娯楽となりつつあるが、昔は旅行など庶民にとっては夢のまた夢だった。
その旅行に大義名分を与えたのがハッジだ。タダでさえ娯楽の少ない時代。毎日毎日働き詰めの中、人生そのものに夢や希望を与えるのに大いに役立ったはずだ。
つまり一生に一度くらいは最大級の娯楽である旅行を楽しみ、同時に幅広い見識と高い信仰心を得よ!というのが神からのメッセージだ。
六信(ろくしん)
ムスリムが信じるべき六つの事柄についても、簡単に示しておく。五行と合わせて「六信五行」と呼ばれ、イスラムの根幹を支えている。
- 唯一神「アッラー」
- 天使
- 啓典(イスラムの聖典コーランなどの4つの啓示書物)
- 使徒・預言者
- 来世
- 定命(この世の森羅万象は全て神の意思により定められる)
まとめ
如何だっただろうか?
厳しい戒律の裏に隠された、意外な真実を知ると、少しだけイスラム教に興味が湧いてきはしないだろうか?
いずれにせよ原理主義を声高に唱える一部の過激派によって、「イスラム=テロ」のイメージが定着してしまったが、殆どのイスラム教徒は、蛮行など望んでいない。
厳格な神の管理下のもと、心から世界の平和を願って暮らしている。
アメリカをはじめとする西洋諸国のプロパガンダに乗っかって、「イスラム=敵」という極端な思考に走ることは、待っていただきたい。
少しでもイスラムを身近に感じ、お互いが理解し合うことで、混沌とした世界に平和が訪れることを願って止まない。