あなたは長生きしたいですか?それとも長生きはしたくないですか?
この世で人の寿命ほど不確かなものはない。
だからこそ多くの人間にとって少しでもこの世に長く留まりたいと願うことは自然なことです。
しかし、時に長生きすることが必ずしも幸せとは限らない。そう思わずにはいられない事件が、瞬間があるのも確かです。
自らの手で人生に幕を引かない限り、人は自分の寿命を自分で決めることはかなわないません。
若くして命を落とす一方で90歳、100歳まで生きる人間がいます。
人は縁ある人の早すぎる死を前にしては悲しみにくれ、90歳、100歳まで生きた人間の死を前にしては清々しいねぎらいの涙を流す。
高齢者による列車事故
しかし、ここ最近「清々しいねぎらいの涙」とならない出来事が世間の注目を集めています。
2007年12月、認知症のため、徘徊症状のある91歳(当時)が電車にはねられて死亡した事故。
事件後JRが男性の遺族に対し、損害賠償を求めて提訴していましたが、最高裁は遺族は監督責任を負わないとして、JRの訴えを退けました。
愛知県大府市で2007年、認知症で徘徊(はいかい)中の男性(当時91)が列車にはねられて死亡した事故をめぐり、JR東海が家族に約720万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審判決。
最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は1日、介護する家族に賠償責任があるかは生活状況などを総合的に考慮して決めるべきだとする初めての判断を示した。
そのうえで今回は、妻(93)と長男(65)は監督義務者にあたらず賠償責任はないと結論づけ、JR東海の敗訴が確定した。高齢化が進む中で介護や賠償のあり方に一定の影響を与えそうだ。
朝日新聞
ちなみに最高裁では上記の判決となったが、名古屋地裁(一審)は妻と長男に720万円、名古屋高裁(二審)は妻にのみ、360円の支払いを命じる判決を出していました。
つい先日も同じような事故が起きています。
認知症か 貨物列車にひかれ男性死亡
2016年38日午前4時40分ごろ、宮城県大崎市のJR東北線鹿島台駅-松山町駅間の線路上で、石巻市の無職男性(79)が仙台貨物ターミナル発石巻港行の貨物列車(21両編成)にひかれ、死亡した。
古川署によると、現場には柵がなく、男性は線路上に立っていた。家族は男性について「認知症だった」と話しているという。
男性は7日夜、家族と車でドラッグストアに出かけ、家族が買い物中に車の中からいなくなっていた。ドラッグストアと事故現場は約20キロ離れていた。
産経新聞
電車に限らす認知症による徘徊が原因で、事故に巻き込まれるケースは少なくありません。
霊がいるのかどうかは分かりませんが、あるとしたら、本人は自らの最期やその後の周囲の苦悩を見て、どんな気持ちなんでしょうか。
長生きするという現実
少しに担当した103歳の女性の葬儀。
喪主を務めた80歳の長男の言葉です。
悲しみより安堵の年が強いと自分を責める喪主さんに、掛けてあげる言葉が見つかりませんでした。
長生きはしたいけれども、周りに迷惑をかけるくらいなら長生きはしたくない。
だから今日も『おばあちゃんの原宿、とげぬき地蔵(巣鴨不動尊)』は大盛況です。
別名『ピンコロ地蔵』
最後までピンピンしていて、その時が来たらコロッ・・・
なぜ老人は足繁く通うのか、若い頃は全くと言っていい程理解できませんでしが、最近は少し理解できるようになりました。
自分も年をとったということですね。
学校・子育て・職場・趣味・・・
様々な「卒業」を経て、最後に待っているのは、この世での生活からの「卒業」ですが、私も人生の卒業は「ピンコロ」で逝きたいものです。
もちろん今のところ、まだまだ「卒業」の予定はありませんが・・・
そう信じたいものですが、こればっかりはねぇ・・・