【善なるモノと必要悪】ビヨンセが新曲MVで取った行動に非難殺到

社会における『善なるモノ』と『必要悪』について考える。

ビヨンセのセレブなMVが非難の的となっている。

 ビヨンセ、新曲MVで数百万円のシャンパンを無駄使い?

 ファンから批判や失望の声

人気歌手ビヨンセがニッキ−・ミナージュとコラボし、新曲『Feeling Myself』を発表。ミュージックビデオが定額制音楽ストリーミング・サービス「TIDAL」で独占公開されると、ビデオの中のビヨンセの行動が波紋を呼び、ネット上に批判や失望の声が上がった。 

問題の場面はジャクジーの中にいるビヨンセが、ドヤ顔でシャンパン(正確にはスパークリングワイン)の中身をプールに注いでいる箇所。E!Newsによると、シャンパンを無駄にしたということもさることながら、銘柄が「アルマンドブリニャック」だったことが大きな波紋を呼んだという。

高級スパークリングワイン「アルマンドブリニャック」は300ドル(3万6000円)くらいの値段からあるそうだが、高いものになると数万ドル(数百万円)するという。撮影で実際に使われたものが幾らだったのかは不明。ジャクジーに流しているボトルの中身が本物だったかさえも不明だが、ネット上では批判や失望の声が殺到しているという。

ツイッターなどには「ビヨンセが私の大学の学費分をジャクジーに流し入れた」

「たった1000ドル(約12万円)でも誰かの人生をひっくり返すことができるのに。大学進学とか、遂にランチにありつけるとかね。だからビヨンセが1本2万ドルのお酒をプールに注いだことは、私にとって顔を叩かれたような打撃よ」

「1本2万ドルのシャンペンをジャクジーに注いだビヨンセに正直、感心しない。飢えに苦しむ人やホームレスの人がいるのに」

といった反応が出ているという。中には

「ビヨンセはどのみち、あなたたちの学費を払ったりしない。ジャクジーにシャンパンを注がせてあげて」などと、擁護する声もあるようだ。 

biglobeニュース

「あっ、そうですか」と流してしまっても良い話題だが、折角なので少し深く掘り下げてみた。

ネット社会が強い攻撃的社会と言われて久しいが、手当たり次第に攻撃対象を見つけては叩きまくる現象は、まだまだ衰えを知らないようだと呆れる反面、世の中には実に面白い着眼点を持った人間がいるものだと、思わず感心してしまった。

個人的には様々な考えがあって然るべきだと思う。しかしながら、やはり常に冷静な心で物事を多角的な角度から見てみる姿勢だけは、忘れてはならない。

なぜならば我々が目指すのは「善なる社会」であることは間違いないのだが、世の中には確実に必要悪というものも存在するからだ。

純然たる正義や善だけでは割り切れないのもまた「社会」だ。

例えばコンビにでは毎日大量の弁当やおにぎりが破棄されている。

人々は口々に「何て罰当たりな!」「世界中には餓死する人間がいっぱいいるのに!」と叫ぶ。

確かにその通りだ。

だがその裏には大量に破棄される弁当を作る為に雇われた人間がいて、それを管理する人間がいる。それを運搬する為の人間がいて、運搬する為の車両を作る人間がいる。管理する為の建物を建てた人間がいて、管理システムを作った人間がいて・・・

裾野はどこまでも広い。

彼らはそうして給料をもらい、家族を養っている。製造する弁当を半分にしたことにより、余剰労働力として解雇されるのは、あなたの身近な人間かも知れない。

ビヨンセのシャンパンだってそうだ。

世界中のセレブが高級シャンパンを消費することで食べている人間がいる。派手なMVを撮影する為に雇われたスタッフがいる。

違った角度でみれば高価なシャンパンを撒き散らすビヨンセを見て、「将来私だって!」と静かに心を燃やす若者がいるかも知れない。

貧困からスターにのし上がったサッカー選手など、純粋に金持ちになる事をモチベーションとして、のし上がってきた人間は大勢いる。

ビヨンセがシャンパンを使ったつもりで、アフリカの貧困層に寄付するならば多少は意味のあることかも知れないが、「ビヨンセはあなたたちの学費を払ったりしない・・・」というコメントが示す通り、ビヨンセがシャンパン代をカットしてまで、そのお金を他人の為に使うことはないだろう。

つまりスターの豪奢な消費における役割とは、

①経済の循環

②見る者に夢と希望を与え、将来のスターを生み出す礎を築くこと

そうしたことである以上、例えもしそこに悪が存在するとしても、それは必要悪だと言えないだろうか。

勿論我々が目指すきは「善なる社会」だ。

世界中には貧困にあえぐ人々が沢山いる。そうした現実を目の当たりにして、必要悪として弁当をどんどん廃棄して良いなどとは言えないし、そもそも命ある食べ物を粗末にしていい道理など存在するべくもない。

だがどんなものにせよ、一方的に存在してはいけない悪と位置付けて、ひたすら攻撃するだけでは意味がない。

重要なのは高い次元に向けた社会提案だ。

捨てられる弁当が、社会の貧困層に届けられる具体的な仕組みを具体的に提案する、或いは具体的に検討されるように社会に対して訴えかけを行う。

確かに無駄を生み出さない為のしくみ作りも大切だが、生み出された「無駄」を「単なる無駄」で終わらせない為の具体的な行動も必要だ。

ビヨンセに対してであれば、シャンパン代と同等のお金が困窮者の大学基金に寄付されるように働きかけてみるなど。

そうした行いこそが、高い次元からの物言いではないだろうか?

単なる誹謗・中傷ではなく、問題を提議して、具体的に議論する。

それこそが我々が目指すべき成熟したネット社内の在り方だと思うのだか如何だろうか?

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