欠け行く多胎児
こんなことを言ってしまっては失礼と言われるかも知れないが、天寿を全うされた方の葬儀はある意味「お祭り」だ。
悲しいには違いないが、この世でのお勤めを十二分に果たし終えた方達。
「お疲れ様!有難う!」という素直な気持ちで、盛大に送り出してあげればいい。
ところが若くして亡くなられた人間はそうはいかない。
特に小さな子供の葬儀など、正直やっていられない。
大人用に比べて遥かに小さい柩。
同級生が柩に書いた「一緒に遊んでくれて有難う」なんていう寄せ書きなんか見せられた日には、マジメに家に帰りたくて仕方がなくなる。
涙を堪えて踏み留まるのに必死だ。
だがしかし、泣き言など言ってはいられない。
遺族を泣かせてあげることも、葬儀屋の大きな仕事のひとつだ。
どんなに辛くても、遺族は耐えようとしてしまう。それを「泣いても良いんだよ」という雰囲気を如何に作ってあげられるか?
これが遺族を泣かせてあげることに繋がる。
喜びは分かち合うことで2倍になる。悲しみは分かち合うことで半分になる。
だから私は熱くなる。