「原子爆弾」が欲しかった!と聞いたら、さぞ頭のイカれた少年だと思われるだろう。
そんな頭のイカれた少年と、とある老婆のちょっぴり切ない物語。
何故その老婆と知り合ったのかは、小さかった私は正確には覚えてはいない。
その老婆は当時私の祖母が入院していた病院の、フロア違いの病室に入院しており、原爆の後遺症に苦しんでいる人だった。
生まれは関東だが、親戚を頼って広島に行った際に、運悪く一緒にいた弟妹と共に被爆。弟は即死、妹は一週間後に死亡した。自分は数日間生死の境をさまよった末に、奇跡的に一命を取り留めた。そんな様な素性の人だったと記憶している。
私は彼女のことを度々「原爆のおばあちゃん」と呼んでおり、母親によく怒られたものだ。
何度か顔を合わせるようになり、気が付くと祖母のお見舞いの際には、彼女の病室にもちょくちょく顔を出すようになっていた。
私がお見舞いに行くと、いつも果物やらお菓子やらを出しながら、とても喜んで迎えてくれた。
私の母親と彼女の会話を、隣に座って聞いているのが主な私の役目だったが、私のことを気遣ってか、戦争については多くを語ることはなかった。
しかし腕や足にある酷いやけどの跡は隠しようがなく、幼心に相当の苦しみを背負って生きてきた人だということは、分かっていた。
それでもいつもニコニコしている彼女を見て、私はそんな彼女自身と、今なお彼女を苦しめているアメリカという二つの存在を、恨めしく思っていた。
彼女から日本は原爆を所有していないと聞いてからは、いつか自分の手で原爆を作り、アメリカに報復してやりたいと、真剣に考えていた。
いつだったか、母親が席を外し、彼女と二人きりになったことがあった。
話が将来の夢の話題になった時、私は思い切って自分の壮大な考えを打ち明けた。
次の瞬間、いつも優しかった彼女の顔が急に険しくなった。
「今の『色即是食ぅ』ちゃんは、三流の人間だよ・・・」
彼女は天井を見上げながら、そうつぶやいた。
辛うじて意味は分かったが、幼かった私には、彼女が言わんとしたことの「真意」までは、残念ながら理解出来なかった。唯一分かったことは、それが決して私の発言を肯定しているものではないということだけだった。
彼女が喜んでくれるとばかり思っていただけに、私は大きなショックを受けた。
完全にへそを曲げてしまった私は、殆ど喋らなくなり、少しして戻ってきた母親の手を引いて、病室を飛び出してしまった。
何となく気まずくなってしまった私は、その後二度と彼女の病室を訪れることは無かった。
数ヵ月後、祖母が亡くなった。
「原爆のおばあちゃん」が私の祖母より二ヶ月ほど前に亡くなっていたことを聞いたのは、その時だった。
担当だった看護師さんから、生前に彼女が私に謝りたいと言っていたこと、そして、
【相手を許すことこの出来る人間こそが一流】
ということを、教えたかったとこぼしていたことを聞いた。
私はひどく後悔しながら、取り返しのつかないことをしてしまった自分を、大いに責めたことを今でも覚えている。
早いものであれから20年以上の歳月が流れた。
お陰様で悪の科学者とは無縁のまま、今日を迎えている。
長い年月を経た今なら、彼女の言わんとしていたことの真意が理解出来る。
彼女のことを思い出すと、筆舌に尽くしがたい「怒り」を抱えながらも、相手を許すことを選択した彼女の壮絶な想いが、私の胸を締め付ける。
相手を許すことは難しい。それが肉親を奪い、自らにも耐え難い苦痛を与え続ける相手となれば尚更だ。
しかし所詮憎しみは憎しみしか生まない。どんなに綺麗事を並べてみても、復讐は更なる負の連鎖を生むだけの虚しい存在でしかない。
完全に負の連鎖を断ち切る手段は、ただひとつ。
身を引き裂かれる程辛い選択だと知りながらも、誰かが断腸の思いで相手を「許す」という英断を下さなければ、この醜い負の連鎖は永遠に終らない。
それが出来る人間は、間違いなく「一流」の人間だ。
彼女はそのことを誰よりも深く理解していたのだ。
世界中に渦巻く、報復や復讐という名の負の連鎖。
歴史問題に揺れる日中韓。
終の見えない泥仕合を続ける、イスラム原理主義とその他の国々。
そうした世界を目の当たりにするにつけ、名も無き老婆が教えてくれた偉大な心根が、キラキラと輝きながら、私の心を駆け巡る。
「今のあんた達は、三流の人間だよ・・・」
ふとそんな彼女のつぶやきが、聞こえたような気がした。