ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ
本名『ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ』
(カタカナでは『カラバッジョ』と表記されることもある)
盛栄を誇ったルネサンス以降、難解で寓意に満ちたマニエリスムの時代を経て、描きたいものだけをシンプルにキャンバスに配置し、聖書や神話の世界を現実的かつドラマティックに描いた天才画家カラヴァッジョ。
その後のバロック絵画を生み出した人物として、後世の画家や芸術界に大きな影響をもたらした。
カラヴァッジョに影響された画家はカラヴァッジェスキと呼ばれ、多くの著名な画家を生み出してきた。
《カラヴァッジョの肖像》
作者は不明だが1617 年頃描かれたものとされる。サン・ルーカ国立アカデミー(ローマ)所蔵。
日本ではそれ程名前が知られているわけではないが、私がルネサンスの巨匠たちと共に、最も好きな画家のひとりだ。
私が以前バックパック片手に1ヶ月ほどかけてイタリアを縦断したのは、この画家の絵画を見るためだったと言っても過言ではない。
上野西洋美術館で開催されていたカラヴァッジョ展の出品作品を中心に、少しだけその魅力を紹介したいと思う。
生涯
1571年9月28日イタリアのミラノで誕生。
ティツィアーノの元弟子の元で修行し、ローマへ進出。静物などの描写がうまい新人として頭角を表す。
当時の時代背景ともマッチし、一躍人気画家へ。
しかし、粗暴の悪さから暴力沙汰などを頻繁に起こし、度々逮捕される。
1606年乱闘騒ぎから相手を殺害、死刑を宣告される。
その後は当時スペイン領だったナポリに逃亡し、イタリア各地を転々としながら、精力的に創作活動を続ける。
エッケ・ホモとは「見よ、この人だ(この人を見よ)」ローマ帝国時代のユダヤ属州総督ピラトが、キリストの処刑を前に騒ぎ立てる民衆に向けて放った言葉。
(1605 年頃)ストラーダ・ヌォヴァ美術館ビアンコ宮(ジェノヴァ)所蔵
支援者を中心にローマ皇帝に恩赦の嘆願が出され、近々恩赦が配布されるところまでこぎつけた。
その後の足取りは定かではないが、1610年夏ローマ行きの船に乗り込んだ後、恐らく7月18日に死去したとされる。原因は熱病だとも、当時の画家の職業病と言われる(絵の具に含まれる)鉛中毒だとも言われている。
享年38歳。あまりにも早すぎる死だった。
代表的な作品
★《占い師の女》
身なりのいい男性の手相を見るふりをして、右手の指輪を抜き取るジプシーの女を描いた作品。
全てを詰め込もうとするマニエリスムのような背景のごちゃごちゃは一切なく、余計なものを全く描かない、純粋に最も見せたい場面だけを強調した作品。
(1594年頃) カピトリーノ美術館(ローマ)所蔵
★《ナルキッソス》
恋愛のもつれから、神々によって自分に恋をする罰を与えられたギリシャ神話のナルキッソスが、水面に映る自分の姿にキスをしようとしていることろ。
こちらの絵画もこの題材でナルキッソスの周りに描かれることの多い周辺のものは一切描かれず、主人公にのみスポットライトを当てている。
バルベニーニ宮国立古典美術館(ローマ)所蔵
★《バッカス》
酒の神バッカス。ローマ神話の主要な神でありながら、その顔には現実に存在する少年の様な描写が見られる。
神話や聖書の一面を経験や実世界に基づいた実在の世界観で描く、カラヴァッジョの作風がよく現れている。
(1595年頃) ウフィツィ美術館(プラド)所蔵
★《トカゲに噛まれた少年》
見ている者に痛みすら感じさせる作品。絵画を視覚のみならず、触覚・聴覚などの五感全てを刺激する芸術作品へと高めた。
(1593年 – 1594年頃) ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
★《リュートを弾く若者》
今にもリュートの音が聞こえてきそうな、大いに聴覚を刺激する作品。
(1596年頃) ウィルデンスタイン・コレクション
★《エマオの晩餐》
弟子の前に復活したキリストが姿を現した光景を描いた作品。カラヴァッジョが1606年殺人で逃亡した直後に描かれたもので、作家の心の中にある深い闇をも見事に表現している。
聖書の中における非常に重要な一面でありながらも、静寂の中に展開される写実的な明暗が特徴的な作品だ。
ミラノブレラ絵画館所蔵
★《愛の勝利》
ギリシア神話をモチーフにしながら、艶かしい風俗画のように描かれている。
ベルリン
★《ホロフェルネスの首を斬るユディト》
旧約聖書外伝にあるユディトが自らの住むユダヤの街を救うべく、侵略してきたアッシリアの司令官ホロフェルネスを欺き、まんまとその首を切り落とした。
カラヴァッジョの粗暴な性格からか、実に写実的で暴力的な描写が見られる。
(1598年 – 1599年) 国立古典絵画館(ローマ)
★《聖ペテロの否認》
カラヴァッジェスキのひとり、ジュセベ・デ・リベラの作品。
一見日常の風景の様だが、聖ペテロがローマで罪人だったイエスとの関係を聞かれ、「私はそんな人物は知らない」と答えた聖書の有名な一場面を描いた作品。
主役である聖人を端に描く、 聖書の場面を同時代のものとして描くことで、理想化されず、現実味を帯びた宗教画として仕上げている。
ジュセベ・デ・リベラ作コルシーニ宮国立古典美術館(ローマ)所蔵
光と影
カラヴァッジョの作風の特徴を挙げてきましたが、最も大きな特徴は何と言ってもスポットライトで照らされたような陰影。
その特徴について、カラヴァッジョ展で展示されていたパネルが、分かりやすく説明している。
カラバッジョの絵画の美術史上最大の革新のひとつが、写実的な光の表現にあることは、誰しもが認めるだろう。
従来の絵画は方向性を持たない理想的な光によって、画面がくまなく照らし出されているのに対し、カラバッジョはスポットライトのようにはっきりとした方向性を持つ光を用い、光と影による絵画空間に迫真的な三次元的形態を作り出した。
それにより場面は圧倒的な実在感を獲得し、観る者に場面が現実世界の延長であるかのような臨場感を与えたのである。
カラヴァッジョ展より
(1609年頃) マドリード王宮(マドリード)
カラヴァッジョの活躍した時代
時代が味方し、一躍時代の寵児となったカラヴァッジョ。彼の生きた時代とはどんな時代だったのだろうか?
16世紀初めにマルティン・ルターなどによって展開された宗教改革。これにより興ったプロテスタントは『人は聖書と信仰によってのみ救われる』と主張し、カトリックの聖人を認めず、偶像崇拝を否定した。
これは同時に聖書の一面や聖人を形にした宗教美術の否定に繋がっていく。
娼婦をしていた頃にイエスに出会い、キリスト教に改宗したマグダラのマリア。イエスの死後洞窟に籠って修行していたが、その彼女の晩年を描いた作品。
カラヴァッジョが殺人を犯した1606年夏に描かれた作品。彼が最期に所有していた3枚の絵画(全て紛失)のうちの1枚で、2014年に発見された。
2016年上野西洋美術館での展示が海外での世界初の展示となった。
これに対して16世紀後半以降カトリックは対抗宗教改革を展開。聖母や聖人が信仰の対象であることを再確認し、宗教美術の重要性を解く。
それは宗教美術が神の教えを人々の感情に直接的に伝えるために有効であったためだが、カトリックはこうした宗教絵画や彫刻を、最大限利用していくことになる。
こうした潮流の中で聖書の物語、聖人の姿を現実的かつドラマティックに描いたカラヴァッジョの作品は、ローマカトリックにより手厚く保護され、人々の熱狂的な支持を受ける。
しかし、あまりに人間らしい聖人の姿が、時に適性をかくとして批判されることもあり、常に熱狂と批判の狭間にあったカラヴァッジョの作品だが、彼の作品は当時の宗教美術の常識を大きく覆すものとして多くの画家に影響を与え、彼の死後バロック絵画として大きく開花していくこととなるのである。