通夜の晩の宿泊について
夜と通すと書いて通夜。
一昔前の通夜(自宅での葬儀が一般的)といえば、近しい人間が夜を徹してお線香をたむけ、故人の思い出を語らう。そんな光景が一般的でした。
葬儀が斎場で行われようになった今日においても、斎場に宿泊する遺族もいらっしゃいます。
それでは現在では一般的にどのような傾向にあり、実際に泊まる人と泊まらない人の割合はどうなっているのでしょう?
みんなのお葬式体験談
私は昨年の11月に実父を癌で亡くしました。
私は一人っ子であり、親戚の強い要望で喪主に推薦され、引き受けました。
セレモニーホールで通夜と葬儀を行なったのですが、通夜の際に最低一人はセレモニーホールに泊まらなければいけないということを初めて知りました。
長年連れ添った母は泊まる気なんてサラサラなく、百年の恋も亡くなったらおしまいという非情な現実を受け止めました。母に対しては「気持ち的には泊まりたい・・・」という、本気でなくても気遣いの一言は欲しかったですね。
誰も泊まる気がない、嫌々泊まるというのでは亡くなった父がかわいそうです。私が好意的に泊まることにしました。
通夜が終わり、お清めの席で親戚が酒を飲むうちに「俺も泊まろうかな?」と言ってくれましたが、私は「家族いるんだから家でゆっくり休んでください」と答えました。
その後消灯して寝ようとしたところ、当たり前ですが館内全て真っ暗に・・・
ボンボリの水色の明かりだけがグルグルと天井を照らし、「親父ごめん、ちょっと無理っす」と言って電気を付けました。
その後、寝ようとしても寝つけず、TVを見る気にもなれず、ゆっくりゆっくりと時間が過ぎていったのを覚えています。
横になり、明日の葬儀の最後に私が話すことになる喪主挨拶の言葉を考えることにしました。
立派な挨拶をされる方、泣き出してしまう方など様々ですが、最高の形は何なのか?を考えていました。
この場に参列してくださった方、労力と時間を使っていただいた方たちに、どのように帰ってもらえば亡くなった父が喜ぶのかを最終的に考えました。
結果、葬儀とは悲しくて当然であり、涙は流すだけ流しているであろうということ。
葬儀が終われば皆それぞれが晴れやかな気持ちで元の生活に戻って欲しい、悲しみだけで葬儀を終わらせてはならない。
そう考えると言葉がどんどん浮かび上がってきたのです。
生前、にこにこしている穏やかな表情が印象的だった父。
きっと私の考え、実行した挨拶に納得の笑顔をしてくれていると思います。
ひと言
素晴らしい心構えですね。
このブログでも何度も触れていますが、葬儀とは死者はもちろんですが、生きている人のためにこそ行うものです。
故人の死を受け入れ、決別し、しっかり前を向いて生きていくための儀式です。
自らはもちろん、参列者もそんな思いにさせていげたい!
そうした心構えを持つことは喪主として、喪家としてとても大切なことです。
勘違いは禁物!「喪主」という立場
誰も泊まらないなら私が泊まろう・・・
勘違いしがちですが、喪主は故人に次ぐ準主役的な立場ではありません。
葬儀を取り仕切る遺族代表であり、参列してくれるゲスト(会葬者)をもてなす、いわば運営委員長です。
ちなみに通夜振る舞いの席などでゆっくり酒を飲んでいる喪主を見かけますが、料理の席での喪主の役割は「お酌係」です。
非常に労力のいる宿泊を喪主が率先して行うのは、当たり前のことです。
また、親戚に強く勧められたから引き受けたというのもよろしくありません。
息子がある程度の年齢に達しているのなら、喪主となって親を送り出すのは子供の務めです。
親戚ではなく、お母様と話し合い、率先して引き受けるべきだったように思います。
通夜の意味
夜と通すと書いて【通夜】
元々はお釈迦様が亡くなった晩、弟子や縁者が集まり、お釈迦様の「教え」について、夜を通して語り合ったことに起因しています。
今では夜を通して死者を弔い、故人の思い出話等をしながら、その生涯に思いをはせる日として認識されています。
通夜の晩は泊まるべき?泊まらなくて良い?
一昔前までは近し親族が一晩中線香を絶やさず、死者と共にするのが一般的でした。
死者を弔うひとつの手段としてだけではなく、そこには物理的な理由が存在します。
腐敗臭を消す
今と違って遺体を安置する冷蔵庫もドライアイスもない時代。
特に夏は腐敗が早く、かなりの臭が発生していことでしょう。
告別式に向け、こうした臭いを消し、また害虫などを寄せ付けないために、一晩中お線香がたかれていました。
不幸を知らせる
当たり前の話ですがこれほど電気が普及するまで、夜は真っ暗でした。
そんな時、夜通しロウソクの明かりが漏れている家があれば、それは「不幸」があったことを示しています。
周囲に不幸があったことを知らしめる目的があったと言われています。
まとめ
理由はいくつかありますが、主に下記の様なことが挙げられます。
通夜の晩に泊まらなくて良い理由
- 現在においては先述した物理的なふたつの理由は当てはまらない。
- 防火上の理由から、線香やロウソクの扱いに関して、【消防法】の制約を受けたり、自主的に制限を設けたりして、21時~22時以降は火気の取り扱いを禁止している斎場も多い。
- 防犯上/防火上の関係で、宿泊不可の斎場も多い。人件費削減やそもそも人員の確保が困難などの理由で、夜間は完全にクローズしてしまうため。
- 親戚や地域との関係が希薄になり、周囲のしがらみや圧力、『前回やってもらったから、今回は私が・・・』といった昔ながらの風習やしきたりに縛られなくなった。
- 親戚や地域との関係が希薄になったことと、葬儀の規模が格段に小さくなったことにより、夜を通して語り合うような親密な参列者が少なくなった。また、それにより宿泊した場合は、ひとりひとりの(寝られない)線香番の担当時間が増える。
- シャワーやベットなどの宿泊施設や、アメニティグッズ等の準備が無い場合が多く、泊りには適していない。
- 参列者の高齢化が進み、健康面に不安がある。
- 一日葬が主体となりつつあり、そもそも通夜をやらない。
自宅葬が主体だったころならいざ知らず、現在の葬儀形態は様々な面で宿泊に適していません。
地方に行けば状況は少し違ってくるのでしょうが、私の感覚では東京近郊の葬儀の場合、斎場に泊まらない喪家が8割~9割に達しているように思います。
投稿者さんの文章を読むと、場所によってはまだ斎場に泊まることを義務付けている斎場もあるようですが、そうした場所は稀でしょう。
どうしても最後の晩を故人と共に過ごしたい。
別の地域から来ているため、宿泊施設として斎場を使いたい。
そうした理由で斎場に泊まりたいという遺族/親族もいるでしょうが、ご自身が必要性を感じなければ、基本は泊まらなくても全く問題ありません。
まだまだ自宅安置が基本の地方と違い、東京近郊では住宅事情などにより葬儀までの間に自宅にご安置しておくというのも、難しくなりましたが、可能であれば自宅に安置してもらうのも良いでしょう。
心身ともにゆったりとお別れが出来ます。
亡くなってただでさえバタバタで迎える通夜は、心身ともに多大な負担がかかるもの。
無理して泊まって告別式に体調を崩した・・・
そんな話はゴロゴロ転がっています。
故人に対する心遣いは大切ですが、遺族に多大な負担を強いることなど、故人は望んでいるでしょうか?
もちろん無理なく出来るならば、『泊まる』に越したことはありませんけどね。