【愛する祖父との別れ(死別)】誰も看取れなかった祖父

祖父母との死別体験談

この世に生まれてくる命がある。

あの世へと帰っていく命がある。

自らの手で断たれる命がある。

生きたくても生きられない命がある。

この世の命の不思議・・・

亡くなったのは母方の祖父。10月のことでした。

当時の私はまだ小学生でした。

ヘビースモーカーかつ酒飲みだった祖父は、50代後半から度々体調を崩して入退院を繰り返していました。

しかしながら家にいる時には元気で、商売人としても立派な仕事をしていました。

祖父母の家に遊びに行くと、孫である私や弟におもちゃをたくさんプレゼントしてくれる優しい祖父でした。

ある夜、祖父から電話がかかってきました。両親は仕事で留守だったため、私が電話を取りました。

『おう、松茸いいやつ贈ったからみんなで食べてくれ』

という電話でした。

私はありがとうと伝えました。

母にそのことを伝えると、『今まで贈ってくるにしてもそんな風に電話をかけてくることはなかったのに』、と不思議そうにしていました。

そしてこれが、私が最期に聞いた祖父の声となったのです。

松茸の電話から1週間、母が昼過ぎに学校へやってきて言いました。

『おじいちゃん、死んだの』

私は耳を疑いました。というのもその8月に父方の祖父がガンで亡くなっていたので、立て続けに亡くなるとは思いもよらなかったのです。

祖父母宅についたときには祖父は白装束で布団に横たわっていました。泣き崩れる母の横に叔父がおり、亡くなったと分かった時の話が聞けました。

体力をつけるためにと毎朝のランニングをしていた祖父。その日もいつも通りジャージ姿で小銭入れひとつを持ってランニングへ出かけたそうです。

その途中で脳出血を起こし、電信柱にぶつかり倒れていたところを通りがかった人が見つけて救急車で運ばれたのです。

ところが身元がわかるものを何も持っていなかったため、祖母へ連絡が来ることはありませんでした。

警察が周辺で特徴を放送して周り、祖母がそれに気づいた時にはもう祖父は病院で息を引き取っていたのです。

話を聞いてから祖父の遺体を見ると、おそらく電信柱にぶつけたあとなのでしょう。おでこが紫色になっていました。

商売人としてたくさんのひとと関係があった祖父でした。私たち孫にも優しかった祖父でした。それなのに、名前も分からず身元も分からずの状態でひとりぼっちで亡くなってしまったのです。

せめて免許証の入った財布でも持っていてくれたらと、祖母が涙して話していたのが今なお忘れられません。

私にしても、亡くなったその時を見ていないので、元気な明るい声で電話で話した祖父が、目の前に遺体となって存在していることが上手く呑み込めませんでした。

火葬場で骨を拾う時になって、ようやく死んでしまったのだということを理解して、そうしてやっと泣くことが出来ました。

今でもそのときのことは深く身に染みていて、親しい人と会う時には後悔のないように接しようと心に決めています。

祖父にも【もっと長生きして見て欲しかった】と胸を張って言えるような、立派な生き方をしよう思うことで、悲しい気持ちをゆっくりとゆっくりと消化していこうとしています。

当時(故人)の年齢 63歳
死因 脳出血

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