毒親は子供の話を聞く気はまったくない
最近、毒親関係で色んな人のブログを見に行くようになりました。
それを見て思うのは、毒親の姿は三者三様だが、共通するのは毒親は自分の都合しか考えていないということ。
子供がそれによって、どれだけ苦しい思いをするかなどとは一切考えない、共感力不足の人種なんですね。
自立する前の時代の息苦しさと言ったら、自分を奪われている感覚などという言葉では、言い表せません。
自分だけ終わりのない罰ゲームをさせられているような、自分の周りだけ酸素濃度が低いような、そんな理不尽な気持ちでいっぱいになります。
さらにその点を指摘しても、毒親はそれを一切認めないのですから、生存することすら許されないような感覚になります。
思春期も終わりにさしかかり、自立しようともがいていたとき、母と言葉を交わす度に口喧嘩になっていたのを思い出します。
私の自由を認めない母は、私の話すら聞こうとせず、私を否定し続けました。
二階の階段そばで言い争っている時、本当に殺意が芽生えて『ここからつき落とすぞ!』と言ったら、『おう!落としてみろ!!』と言われ、何もできませんでした。
最後の最後まで私の話は、聞く気がないのでしょうね。
ダブル毒親の家庭でも母親の毒ぶりは格が違った
目に見える形で暴力をふるうか、証拠が残らないように陰湿に子供を不幸にさせるか、いい親を装っているが、心の中で子供を傷つけているか、など毒親としての形は様々です。
私はその中でも、面と向かって文句を言おうにも、何を言ったらいいかわからない、掴みどころの無いタイプの毒親が居ることを強調したいです。
そういう親は自分は安全なところに立ち、配偶者などを使って他人にDMC(家庭内洗脳)の手伝いをさせるのです。
それはあることないことを人に吹き込んで、動かそうとする性格の悪い奴と一緒です。
私の母はそういう風に、いったん他人を経由して私をコントロールするので、私は何に文句を言ったらいいかわかりませんでした。
母は決して直接的には言葉にしないのに、表情が変だったり、口調が鬼のようになったりするのも恐怖でした。
父は私に反抗させず、人間的に馬鹿にし、理不尽な努力をさせ続けました。
この場合、私が父に言うべき文句ははっきりしています。
父にされたことを、そのまま父に訴えればいいのです。
しかし、母は違う。
母は、あらゆる手段を用いて私を揺さぶろうとしますが、表面上は子供想いの親の顔をしているのです。
私を傷つけないでなどと言うと、
と言うでしょう。
それ以上は言い争っても水掛け論です。
しかし、子供を想っていたら絶対とらないであろう行動を、毒親はしているのです。
毒親育ちは恥ずかしいことではない
自分が毒親育ちであることは、恥ずかしいことだと思っていました。
しかし、生まれ育つ環境は選べなかったので、仕方がないことだと思います。
毒親育ちの人格になったことも、これからの人生で変えていけばいいことなので、堂々としていればいいことだと思えるようになりました。
むしろ、毒親から解放される時に、豊かな心と初めて正面から触れ合えるという、ぜいたくな経験をできることに感謝するぐらいの気持ちで、生きていきたいと考えています。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。