子供を洗脳する毒親
毒親は自分の立場を有利にするためなら何でもします。
たとえ他人を悪く言ってでも、自分の伝えたいことを効率よく伝えようとします。
でたらめで思いやりの無い母の発言
私の父は大企業勤めで、比較的出世しているほうでした。
家から十数分の勤務先へ悠々と出勤して、帰りは夜の十時半くらいと比較的遅めでした。
でも、この十時半という時刻、今の私ならピンとくるんですよね。
そう、パチンコ屋が閉店する間際の時刻です。
父はしょっちゅうタバコの臭いをぷんぷんさせて帰ってきました。
そのことから、実は夜遅くまで仕事をしていたわけではないことがわかります。
たまに本当に忙しい時もありましたが、遊んでいることも多かったみたいです。
会社員の境遇としては十分いいほうでしょう。
でも、母はそんな父のことを、さも大変でかわいそうな人のように言いました。
一家の大黒柱を立てずに、逆にこき下ろすようなことを言っていました。
今の私が思い出すに、父はそんなに大変そうには見えませんでした。
転勤や休日出勤はたびたびありましたが、自分の時間が無いというほどではなさそうでした。
まず毎晩ファミコンを2時間ぐらいしていましたし。
馬鹿を育てる洗脳
子供の前で父を立てないというのは、教育上よくありません。
私は母から『お父さんはしょっちゅう会社を辞めたいと言っている』とか、昔上司からパワハラをされた話とかを聞かされて、社会人としての父は尊敬できないようになっていました。
また、父を褒めたと思うとその内容は『お父さんはコンビニの弁当を食べた後のゴミを、きちんと袋にまとめてくれる』といったどうでもいいことでした。
それを言うことでそこしか褒めるところが無いように取れてしまうので、実質馬鹿にしているのと変わりありません。
これぞ正に印象操作です。
母から色々と言い聞かされて、自分の方が父より能力があると錯覚した私は、自分に選民意識を持つようになってしまいました。
勘違いもはなはだしいです。
また、実際は父は世間から見ると、十分に頑張っている部類だったと思うのですが、その父がこき下ろされるのを聞き続けて、私は努力など馬鹿馬鹿しいと思うようになりました。
そして母のささやく甘い言葉に耳を傾け、しかし、するように言われた勉強はせず、自分の楽なほうに動いていくようになりました。
こうなるのはもはや自然の流れだったと思います。
母の発言は自分の都合しか考えていなかった
では私が大学を出て会社員になるとどうなったか。
まず、平社員からのスタートが、我慢できませんでした。
上司には絶対服従の現実を知った時、私はそれまでいかに上から目線で生きてきたかを、思い知らされました。
それから新卒ですから給料は多くありませんし、サービス残業がハンパではなく、休日出勤は当たり前でした。
これらの現実に直面して苦しみ、母に相談したときの反応はどうだったか。
この流れだと、『かわいそうだから早くやめさせよう』とするとか、『何でそんな会社に就職したんだ』と責めるとか、『私がこれまで勉強をしてこなかったことを叱る』などが予想されるでしょう。
しかし、違いました。
と、意味不明の発言をし、私の境遇や体調は一切気にしないのでした。
元々、母は父の仕事のことなど、どうでもよかったのです。
自分がぬくぬくと専業主婦(しかも最低限のことしかしない)をしているのと比べて、父の大変さを笑い、哀れんでいただけなのではないかと思います。
ついでに、転勤で田舎に行くことになった恨みも、込められていると思います。
両親は父が定年退職すると同時に、元の都市に戻りました。
母はよほどその田舎に居るのが嫌だったのでしょう。
もはや強力なマインドコントロール
このように毒親は自分の境遇や気持ちだけで、人のことを偏見に満ちた見方をし、それを子供に伝えるのです。
疑うことを知らない子供はその毒を全身に浴びます。
そうして子供は歪んだ人生観を作っていくのです。
毒親の教えはコンパスの針を狂わせる、磁力のようなものです。
その教えに従っていると、人生という海をあさっての方向に航海してしまうことになります。
そして、そのことに大人になってから気付き、激しく後悔します。
しかしやり直そうにも、それまでに生きてきた己の足跡は、消すことができないのです。
私は慌てて軌道修正しようとしましたが、結局少しずつしか変えていけませんでした。
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。