教育費を勝手にジャブジャブ使っておきながら、望みどおりに成長しなかった子供に対して言う言葉。
なお子供側はそもそも何も一切頼んでいません。
勝手に決められて、勝手に進められても子供は何のことだかわかりゃしない。
挙句の果てにはこうして文句まで言われていますが完全に筋違いです。
余計な事というほどのことでもないが、でも親の目から見て目障りな行動に対して言う言葉。
この言葉によって、子供は全ての好奇心を奪われ、世界が閉ざされる。
主に赤の他人に働きかけようとする時に、よく言われました。
世間でもよく使われるこのセリフ、一見問題が無いようですが『うち』と『よそ』がかけ離れ過ぎていることが問題です。
そして、このセリフが使われるときは『うち』に居る利点が全く無いときであり、要は理不尽を正当化しているのです。
要らない物を与えられそうになり、要らないと言っているのに、聞く耳を持たずに話を進められている光景。
私が要るか要らないかは、本当に関係なく押し付けてくるから迷惑です。
メールで送られてきたのですが、どんな顔して打っているのか容易に想像がついてしまう。
怒りながら、でも泣きそうな顔をして、顔を真っ赤にしているのでしょう。
どこまでいっても自分の反省はせず、人のことは非難してくるので、悲しんでいるとしても同情はできない。
毒親らしいセリフといったらこれでしょう。
同様の言葉を言われたことがある人は多いのでは?
頼まれてもいない行動をしておきながら、その見返り(感謝)を要求するというように、押し付けがましいことこの上ないです。
感謝されて当然と思ってるところがすごい。
他人の幸せが許せない不幸な親は、たとえ我が子の幸せであっても、認めることができません。
子供が幸せな話も聞くことすら耐えられないのです。
まるで抗争相手とのケリをつけるときのセリフのようですが、実際に母が子に向けて放ったセリフです。
切腹でもしろと言うのでしょうか?どんだけ怒りを感じたら、こんなセリフを言えるのでしょうか?
私は母が言ってきたことの1000分の1も言っていないつもりだったのですが…
ちなみに何時何時家に行く言った母は、その日になっても来ませんでした。
他人に対してケチと言う人は、不当な要求をしている故に、拒否されているだけである場合があります。
子供にも断りたいときぐらいあり、いつ何時でもオープンにしていなければいけない謂れはないはず。
大体私がケチだったとして、育てた親のほうはもっとケチだったと思う。
親不孝もんというからには、一体私がどれだけたいそうなことをしでかしたのか、教えてほしい。
何も大したことは言えないはず。
そう言うのだったら、私の幼少期から子不孝もんだった自身を、詫びて欲しいと思います。
若者同士の適当なあいさつのようなことを、定期的にメールしてくる親。
私の親は独り立ちしても、子離れしてくれない構ってちゃんでした。
当然何をどう答えたらよいのかわからないので、適当に『元気です』などと返すわけです。
正に時間の無駄。
そんなに言われるほどの悪いことはしていなくても、抑揚をつけてショックを受けているように言うことによって子供の罪悪感はマックスになる。
遠まわしに子供を屈服させて謝らせるために使う言葉。
前後に「んまあぁーーーっ」や「もおおおぉーーーん」を付けると、より子供の心は重くなる。
私はこのセリフを言う時の親の顔が忘れられない。
本当に好きなようにすると、無言の圧力をかけてきて、居心地を悪くさせてきます。
その結果子供は罪悪感を感じ、それに耐えられなくなり、親に謝るはめになるのです。
『きょうだい』は私の妹を指す。
このセリフ単体は特に悪いものではないが、血のつながりさえあればどんな障害も越えることができるという、親の考えがはっきりわかる。
『親子でしょ』の一言で、どんな理不尽も正当化されてきたことを私は忘れない。
子供のことは何でもお見通しとでも言わんばかりに、呆れたようにため息混じりに言う言葉。
ダメ息子のレッテルを最初から貼られているようで、言われると凄く残念な気持ちになる。
本当は何とも思っていないのに、人の心配する素振りだけは一人前な毒親。
抑揚をつけてまでして言っているのに、ちっとも心が伝わってこない。
その後に手のひらを返したかのように、他人事だと思って好き勝手言うまでがセット。
もはや教科書を毎日同じページを開きっぱなしで、サボっているのに形だけは注意する。
子供がそんなんならさっさと見放すか、きつく叱るのが筋なのに、形を保つことを優先して、実質を重視しない放置親らしい発言。
この言葉は奥が深い。
子供が自分の望むように育たなかったことを、遠まわしにディスっているのであり、もはや犯罪者予備軍として、お前を見ているぞということを、暗に言っているのです。
言われた当時は、荒れている私を諌める言葉だと思っていましたが、時がたつにつれて私の心が傷ついていることに気付きました。
こんな言葉をさらっと言ってしまう親はどんなものか、まさにポイズン。
子供がちょっとでも調子に乗るのが許せない毒親。
自分の気分を害されると子供を責め、頭を押さえつけることに余念がない。
本当に手伝うつもりは全く無く、実際には手伝わなくても済むような時を狙って、良い人アピールをする。
この発言をした時点で子供は恩を着せられたことになり、『ありがとう』という言葉を、無駄に言うことになる。
毒親も子供から搾取するだけでは、正体がバレそうになるので、こうした目くらましの技には非常に長けている。
隣の家と比較して、家族の親密度で負けていることに泣き言を言う毒親。
そんなことを言ったからって、私は寄り付こうとは思わない。
むしろなぜこういうことになっているか、一瞬でもいいから思いを馳せてほしい。
理屈になっていないことを主張する辺りが、さすが毒親である。
他人に対する共感能力の無さゆえに、子供が悩んでいる状況が理解できない毒親。
とりあえず耳障りの良い、上っ面だけのことを言って、その場を収めようとする。
内心ではわけのわからないことを、ゴチャゴチャ言う子供を見て、いい加減にしろと思っているであろう。
だが子供の方こそ、実質何もしてくれない親に対して、いい加減にしろと強く思っている。
私が何かに挫折した時、真剣に言うのではなく馬鹿にするかのように、忍耐力が無いことを指摘する。
このときの親の顔は半笑いである。
まるで親自身には忍耐力があるかのような言い方をし、そして実質的なアドバイスは何もしないので、単に上から目線で、ダメ息子のレッテルを貼りたいだけなことがよくわかる。
男子小学生どうしがふざけあっているのではありません。
母親が高校生の息子に対して言うのです。
冗談にしては気持ち悪すぎる。
まさか本当に見たかったのか?
下着を抑える私の手をどけようとする力は、あまりに強かったです。
この変態が。
私が昼夜逆転に苦しみ、昼間しか寝られない事情を話した上でのこのセリフ。
多少の文句を言いたい気持ちはわかるけど、あっけらかんと笑いながら言うのはどうか。
子供は本当に笑えない状況なのにこのデリカシーの無い、何の励みにもならないセリフに絶望する。
本当に私の親にはこの手の第三者的な、傍観者としてのセリフが多すぎる。
適切な行動の仕方を教えずに子供に丸投げしておいて、何がのんきなもんか。
心構えや自己管理は誰からも教わらずに、ちゃんとできて当たり前だと思っているのでしょうか。
仮に私が何も出来ていなくてのんきだったとしたら、そこで軌道修正してくれるのが、ちゃんとした親ではないかと思います。
とりあえず五十音の半分まで作った所で力尽きました…
教育の世界に身を置く【メンタル系教育研究者】
幼少期は明朗快活で好奇心旺盛な男の子だったが、中学受験で勉強し過ぎて、健全な人格形成の機会を逃した、典型的な燃え尽き症候群。
毒親育ちにありがちな『遊びたい』が口癖で、際限なく自由さを求める特徴がある。
現在も家族問題に起因する様々な恐怖症の影響が残っており、日々思考を重ねて改善を試みながら生きている。
家族のことや心の問題など、生きている中で悩んでいる問題に立ち向かうパワーを与えることが記事執筆の目的。
書く内容は一般論をベースとはしません。筆者である私の考えをもとに理論立てていきますので、読者さんには筆者がどういう人間であるかを推察しながら、そこに存在する普遍的な真理を掴みとっていただければと思います。
また教育関連の記事については、自身の経験から、偏差値だけで考えたり、詰め込み式で勉強をすると受験に失敗するという見方を示すことが多いです。
勉強については一番近道は、我流を捨てて素直に学ぶことです。